頬のつめたきはずのひとりをさがしつつ蕾のおほき庭を歩めり

田口綾子「恋などありて」(早稲田短歌40号)

 

その人の頬は、寒い中、きっと冷たくなっている。髄分と待たせてしまったその人を、私は探す。季節は冬か、初春くらいか。白い息を吐きながら、恋人を探して歩くという相聞歌と読んだ。冷たい頬と、咲く前の蕾。頬を冷たくしてまで私を待ってくれる人への信頼。歌の光景は実に冷え冷えとしているが、そこに流れる熱い情熱に心打たれる。その人の頬は、私と出会った後に温かくなるだろう。蕾はやがてほころびるだろう。

 

この庭はどんな庭でもいい。寒い時期に蕾をふやす花だから、椿でも梅でもいいけれど、個人的には冬薔薇が咲かんとする薔薇園と思いたい(可能性は低いか)。花は開かず、葉はなく、裸の枝だけが彫刻のように伸びる庭。その枝々の隙間に目をやりながら、恋人を探す。傍らには冬薔薇の蕾が赤みを持っている。ちょっとロマンティックすぎる読みか。

 

この歌では、ひらがな書きと旧かなが、抒情と見事なハーモニーを醸し出している。上句、冒頭の「頬」以外をひらがなにすることで、人を探す主体の心のたゆたいが浮かび上がってくる。そして、下句の「蕾」という漢字の印象はより深まり、また次の「おほき」というひらがな書きの形容詞の優しさが際立つ。情熱が生み出される前の冷たさ、孤独感を描くことで、ドラマの盛り上がりを読者に想像させる一首だ。

 

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さて、「早稲田短歌40号」には面白い歌が多い。一首評の分をはみ出すが、以下、心に響いた歌を紹介したい。全員の歌を挙げられない点はご海容願いたい。次号を楽しみにしています。

  別離なんてこわくもなんともないきのう耳を小さくちぎって食べた(狩野悠佳子)

  きみ中華料理の本にやるせないの文字をあてはめたことあるかい(坂梨誠治)

  先輩の宿が停電する夜にテレビを消して中国を思う(中川治輝)

  ほっといた鍋を洗って拭くときのわけのわからん明るさのこと(山階基)

  悪さする(ことばをかくす)僕たちはあまねく街の戸棚をとじて(井上法子)

  エプロンは土曜日が来る旗印 アクリル水彩また落ちないね(渋谷美穂)

  兵児帯をしっかと締める 少女から剥離しそうな妹のため(小田原知保)

  一月は暦の中にあればいい 手紙を出したローソンで待つ(吉田恭大)

  音楽がやむまできみの深淵に立ってたことを挨拶とする(平岡直子)

  じいちゃんはどこでねてるの爺ちゃんはエレクトリカルパレードの住人として海を往く(新上達也)

  おっぱいの役割は〈やわらかい〉だけでいい 夏服のしろのやさしさ(山中千瀬)

  ならぬことはならぬものです霜月の犬しやんとして死んでゐたるよ(吉田隼人)

  我が町は航空写真に焼かるるを女学園のみ美しきかな(大塚誠也)

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