石川 美南


折り目よりちぎれゆく地図アラビアの海の青さをテープにとめる

三井修『砂の詩学』(1992)

 

地図が好きだ。といっても、地図の読み方がよくわかっている訳ではない。詳しい地図を手に持ちながら延々道に迷い続けることもしばしばである。それでも、地図を広げるのはなんだかわくわくする。行くあてのない場所の地図を眺めるのも楽しいし、行ったことのある場所を地図の中に見つけるのもいい。

 

三井修の『砂の詩学』には、作者が仕事でバハレーンに滞在していた頃の作品が多く収められており、

 

  砂の向うにトラック一台消えゆけばおのずから雲の音なく崩る
  髪の根に砂を溜めつつ街に来て市場(スーク)にオレンジ一キロを買う
  一本の黄に燃え上がる向日葵に虻が音立てているのみの昼

 

といった鮮烈な歌が印象的である。
しかし、「折り目よりちぎれゆく地図」の歌は、おそらく現地で詠まれたものではなく、日本に帰ってきた後の作。使い込んで何度も閉じたり開いたりした地図は、折り目のところが弱くなって、簡単に破れてしまう。語り手は、破れたところをテープで止めながら、その部分に広がっている海を見つめる。
少し前まではこの目で見ていた海。今はもう、遥か遠くになってしまった海。だからこそ、語り手の目に、アラビアの青はいっそう輝いて感じられたのではなかったか。

 

ところで、バハレーン在住時に作られた歌にも、地図の出てくるものがある。

 

  ニッポンの地図見詰むれば空を飛ぶ鳶 その頭(かしら)とし故郷の能登
  「占領下(オキュパイド)パレスチナ」なる国名が海にはみ出し地図に刷らるる

 

中東で日本の地図を眺めるとき、懐かしい故郷は鳶の頭の形に見えた(日本に暮らしているときには、そんな風に見えることはなかったはずだ)。一方、中東で見る中東の地図には、「占領下パレスチナ」の文字がありありと記されていた。
「折り目よりちぎれ」ていった地図と、「占領下パレスチナ」が同じ地図であったかは定かではない。いずれにせよ、いつ、どこで、どんな状況で使うかによって「地図」は全く異なる表情を見せるのだ。

 

編集部より:『三井修歌集』(『砂の詩学』を全篇収録)はこちら↓
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