棚木 恒寿


紫の理想の雲はちぎれぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ

 

                     与謝野晶子『みだれ髪』(1901年)

 

 「紫の理想の雲」とは何だろう。新潮文庫版の『みだれ髪』の松平盟子の解説によると「紫」は明星の歌人たちによって「「恋」を意味する色なのである」との指摘がある。なるほど「みだれ髪」の冒頭の一連は「臙脂紫」、鉄幹の詩歌集名も『紫』であり、深く頷かされる。ただしこの一首だけを取り出して現代の私たちが、わがままな読みをするとき、「明星」グループにあった「紫」―「恋」という言葉の符牒性はすでに分かり辛いものとなっている。しかしながら、この歌が私たちに分からない作かというとそうでもない。

 

 紫色の美しい雲(早朝の雲を想像すればよい)があった。それは余りにも完璧で理想の雲である。しかしそれはいつの間にか崩れてゆく。「美しい雲」ではたぶん歌にならない。「理想」という抽象語で空を語ること(「理想」は西周による明治の訳語だといわれているようだが、その新しさも含めて)の斬新さを思う。下の句はやや忙しい言葉遣いではあるが、「わが空」は「わがこころの空」のことでもあり、理想の雲が消えてゆくときに「わがこころ」が感じた愛惜の感情が読み手の心に染みるだろう。

 

 おそらく「紫」の解釈については、松平の読みの方が正確なのだろう。「紫の雲」で実際の雲の色をだけを想像するのは半ば誤読であり、「明星」の人々の言葉の仔細を理解していないのではないという危惧がある。しかしながら、言葉は時おり時代の思潮や流行を超えて私たちに迫って来ることもある。そんなふうに、この歌のことを思うのである。