リタイヤ官吏背広着てカツカレー喰ふ憲政記念館食堂のあどけなき昼

酒井佑子『矩形の窓』(2006年)

 

ことばづかい、韻律のさばき方とも、肝が据わった歌だ。
〈リタイヤ官吏/背広着てカツ/カレー喰ふ/憲政記念館食堂の/あどけなき昼〉と7・7・5・14・7音に切って、一首四十音。

 

初句、いきなり「リタイヤ官吏」とカタカナ語で来る。背広を着たその初老紳士が「カツカレー喰ふ」と来る。場所は官庁街どまんなかの「憲政記念館食堂」だ。場面を「あどけなき昼」の景と断じる。断じるのは誰か。歌の語り手の〈わたし〉、成熟した大人の女だ。いつ(昼)、どこで(憲政記念館食堂)、誰が(リタイヤ官吏)、何をする(カツカレーを喰ふ)、の四要素を端的に述べてから言う。「あどけないわねえ」。オトナの女の余裕である。

 

初句から結句まですらりと読んでしまうが、ことばは細部にいたるまで吟味されている。「リタイヤ官吏」は、造語だろうか。退職した公務員を「リタイヤ公務員」と称するのはたまに見かけるが、「リタイヤ官吏」はあまり見かけない。「リタイヤ教師」「リタイヤ消防士」、しかり。作者は断固「リタイヤ官吏」といく。「退職官吏」は却下。「リタイヤ官吏背広着て」の語順にも工夫がある。「背広着たリタイヤ官吏」とはしない。カレーにもこだわる。ここはどうしても「カツカレー」でないといけない。また「喰ふ」は「喰ふ」であって、「食ふ」ではない。この形は終止形とも連体形とも取れるが、ここでは終止形と読んでおく。「リタイヤ」「カツカレー」と、一首に二つのカタカナ語を投入するのは、四句の長い漢字語と視覚的にバランスを取るためだろう。

 

「憲政記念館」は、国会議事堂の前庭に隣接する建物で、1972年に開館した。ここは、「江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、(中略)幕末には藩主であり、時の大老でもあった井伊直弼が居住し、後に明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれました」(同館 ホームページ)という大層な場所だが、入館料無料で誰でも利用できる。敷地内には「レストラン&喫茶 霞ガーデン」がある。だが、歌を享受するのにこうした知識は要らない。むしろ、「憲政記念館食堂」という漢字のつらなりから、自分なりの想像を広げた方が楽しめるだろう。

 

下句「憲政記念館食堂のあどけなき昼」の二十一音は、定型を七音はみだす大胆不敵さだ。いや、大胆不敵と感じるのは読者であって、作者にしてみれば「憲政記念会館食堂」は一字も削れないし、「あどけなき昼」は「あどけなき昼」でないと駄目だし、定型の音数に近い「憲政記念館食堂の昼」や「官制食堂のあどけなき昼」など論外であって、当然の帰結としての二十一音なのである。

 

結句「あどけなき昼」が一首の眼目だ。「あどけなき」は、ことばのつながりとしては「昼」に掛かるが、退職官吏がカレーを食べている昼の景ぜんたいが「あどけなき」ものであると読みたい。この「昼」の空は、気持ちよく晴れ上がっていることだろう。

 

ぐじやぐじやの世界の上に日は照りて植物相は次なる時にそなふ
*「植物相」に「フロラ」のルビ

 

歌集の中で、一つ前に置かれた歌だ。「ぐじやぐじやの」と大胆なオノマトペで詠い起こし、「植物相=フロラ」と固いことばを繰り出す。描かれるのは、草木が生えていて、天気がよい場面だろう。何の変哲もないそこいらの風景だ。それを、このようにいってみる。世界の真実を言い当てた、という趣が生まれる。
成熟した大人の女のことば。それが酒井祐子の歌だ。

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