老いづける歌の友らと白き酒飲みてほのぼのと語ることあり

高安國世『夜の靑葉に』(1955年)

 このように言葉づかいのやさしい、柔軟な調べを持った歌が、高安國世には多い。飲んでいる酒は、この時代だとどぶろくだろう。私は著者が戦時中に出した文学論集が、戦塵にまみれない高雅な精神性を維持していることに一驚した覚えがある。一点だけ触れておくと、高安國世のハイネやリルケの詩の翻訳には、五・七や七・五の調べを織り込んだ、日本人の韻文感覚に添った文体への工夫がみられる。現実の厳しい条件にさらされて生きながら、強固に己の観念世界を維持し続けた著者には、障害を持つ子がいた。私の好きな代表歌、

 

かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり

 

という歌も、内面の生に賭けようとする精神性の強さが印象的である。

思ったり感じたりしたことを即座にツイッターに載せて流してしまう現代人には、高安ら戦前からの教養主義の文化を持つ世代の「精神」や「内面」への心寄せは、重たいものに感じられるかもしれない。

短歌に関心を持つ人は、詩歌を柱とした「教養」の再建を目指したらいいのではないかと私はずっと思ってきた。少し前にとりあげた高橋睦郎の仕事の多くはそういうものである。高安の弟子にあたる永田和宏の近年の仕事もそのように位置づけることができる。

あらゆる人間の知識が断片化し、個人の持続的な思考の維持が難しい条件の下で、ひとりひとりの人間が、自分は自分だという確かな手ごたえをつかみながら生きていくうえで、短歌ぐらいこころの支えになるものはない。「歌があるから生きて来れた」という言葉を口にした人を私は幾人も知っている。そのような同好の仲間との語らいは、なにものにもかえがたい。