わたくしのまはりを飛ぶな 鱗粉に指よごしつつ蝶を煮てゐる

          大村陽子『砂がこぼれて』(1993年)

 

禁止を表す終助詞「な」が入ると、歌は強くなる。だから、軽々には使えない。よほどの計算と覚悟が必要である。

 

くれなゐの薔薇のかさねの唇に霊の香のなき歌のせますな

そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたまへ

とおもひてぬひし春着の袖うらにうらみの歌は書かさせますな

 

与謝野晶子『みだれ髪』は、禁止の「な」を多用した歌集である。若い晶子の誇らかな気分は、「な」の頻度にも表れていると思う。

大村さんの一首で「まはりを飛ぶな」と命じられているのは、いったい誰だろう。羽虫や蠅の類のように思えるが、これはやはり人間に対する呼びかけであるに違いない。「鱗粉」まみれになるくらい大量の蝶を「煮てゐる」姿には、鬼気迫るものがある。蝶は食べるものではないし、何か魔女がまじないのために秘薬を煮ているような感じだ。

この歌から伝わってくるのは、孤高を保つ一人の女性の気概である。日常の煩わしい人間関係を自ら断とうとするかのように、作者は鍋に向かって、ひたすら蝶を煮る。少し怖い姿だが、「飛ぶな」という強い語調によって、何か爽快な気持ちにもなるのだった。