ほととぎすけはしき声を吾が聞けば竹負ひてよろめくをあざ笑ふにや

                    土屋文明『山下水』(昭和二十二年)

 戦後もすぐには東京に戻れず、川戸に疎開したまま畑作に苦闘する歌である。およそ普通のほととぎすの歌ではない。ほととぎすにあざ笑われているような気がする、という。たしかに声の調子が強い鳥ではある。一連をみると、山鳩にせっかく蒔いて出た芽を喰われたりしている。

 

山鳩よ長くはあるまいわが(いのち)今日(けふ)に空白を呼ぶことなかれ

 

横浜市の奥まった地帯では、ちょうど五月の連休中から中旬にかけてほととぎすが飛来する。青葉区の万願寺の裏手あたり、それから保土ヶ谷区の奥まったあたりなど、住宅地のすぐ裏手のわずかに残った山林と竹藪を伝って鳥が移動して行くのである。長津田から乗り換えて行く「こどものくに」周辺も飛来しそうな場所がある。私見では、自治体が丁寧に樹木の消毒をやっている整備された公園は、駄目である。知らない人が多いと思うが、下の方から太いホースで消毒液をどばっと木に降り掛けたりするので、あれを浴びたらたいていの生き物は死ぬだろう。だから、あまり神経質に管理していないような場所が、飛来地のめやすとなるのである。

私が以前住んでいた近所には、かなりの広さのくぬぎ林があったが、夏になっても一匹も蝉が鳴かない変な林があった。これは、見かけ倒しの贋物の自然である。虫が全部死んでしまうほどの殺虫剤を長年にわたって定期的にかけ続けて来たわけだろう。都市部には、案外そういうものが多い。土屋文明がこれを見たら、どんな歌を作っただろうか。