人魚姫と王子が出逢うその脇でわかめになってそよぐわたくし

入谷いずみ『海の人形』(2003年)

 

人にはそれぞれ分というものがある。「分相応」とか「性分」「分際」の「分」である。その人の漂わせている華やかさや落ち着きといった雰囲気もその一つだ。

この歌について、「幼いころの学芸会の思い出」と取った鑑賞文を読んだことがある。そのときの役割さながらに、恋愛の場面でも「わかめ」という脇役になってしまった作者だというのだ。その解釈も悪くないが、幼年期のそうした事実は全くないのに、作者が自分から「わかめ」になったと読む方が面白いと思う。

気持ちを素直に表すのが苦手だったり、人と競い合う状況になると身を引いてしまうたちだったり……そういう人は「わかめ」になる。「うーん、人魚姫が登場しなければ、王子も嫌いではなかったんだけど」なんて思いつつ、平気であることを示そうと、殊更にそよいでみせたりする。俗に言う「恋愛体質」ではない人なんである。

人魚姫への嫉妬が全くないかと言えば、そうとも言い切れない。自意識は強い。だから、じっと立っていてもよいのに、そよいでしまう。

人魚姫のように、他人に頓着せず自分の思いを遂げてしまう人もいれば、回りが見えすぎて「いやいや、私、わかめですから」と脇へ引っ込んでしまう人もいる。どちらがいいということはない。それが人の分なのだ。そんな深いことを、さらりと、あたかもわかめがそよぐように表現した作者の知性が、とても光っている。