振り上げた鎌のかたちの半島の把手あたりにひかるまほろば

山田 航『水に沈む羊』

(2016年、港の人)

 

「THE EDGE」という連作のなかから。作者は札幌生まれで、連作中にブラキストン線(津軽海峡に引かれた、北海道と本州の動物分布境界線)という用語も出てくることから、「鎌のかたちの半島」は渡島半島を指すと考えられます。

「まほろば」は札幌でしょうか。本来、土地をたたえることばです。

北海道をよく知らないため小樽や函館との位置関係や距離の把握に自信がないのですが、それらと連携して栄える都というイメージは浮かびません。孤独感、というより孤立感のようなものがあります。

切断用の農具名、「鎌」がそう思わせるのでしょうか。

 

かつてここに棄民は居たり旋回をはじめし鳶の影の真下に

まひるまの月のかたちに切り取られ少年院へと続く風景

内出血のごとき光の尾を曳いて深夜を駆け抜けるパトライト

 

明るさにつながる語(鳶・月・光)と、負のイメージをもつ語(棄民・少年院・内出血)とを組み合わせる構成が、このようにたびたび見られます。

「鎌」は作物収穫に使うものですから暗いイメージばかりではありませんが、凶器にもなりうる危険物であることが、どうしても歴史や風土の殺伐とした側面の暗示になってしまいます。

寺山修司の短歌に出てくる「斧」の両義性を思い出しました。

「鎌」の影がさす「まほろば」をそれでも光るものとして描いているのは、光を失いたくないという願いでしょう。「把手」という見立てにも、それを握る手のぬくもりを求める心を感じます。

 

  【追記】

本稿執筆時は青森県の下北半島を斧の形とのみ認識していたため考えに入れていませんでしたが、連作中の「処理」「産廃」等の語が気になり調べたところ、鎌の形とも言われているそうです。下北半島であれば「把手あたり」は地理的に六ヶ所村に相当するでしょう。
歌を判じ絵的に読みすぎるのは避けたいところですが、歌集中にある啄木の軌跡に寄せた長歌の反映も感じますので、掲出歌は東北の歌という解釈にあらためます。(2016/04/23)