阿部久美『ゆき、泥の舟にふる』
(2016年、六花書林)
著者は北海道の人で、歌集タイトルからうかがわれるとおり、雪の歌が多くおさめられています。
ですので雪、あるいは雨の湿った風景に心象をかさねた歌にも目をひかれましたが、掲出歌の結句の奇妙さに立ちどまり、挙げてみました。なにを指さしているのでしょうか。
同じ章にはこんな歌も。
甲板に灰色の雪 船員もわたしもだれもみな不仕合せ
映画の一場面のようなドラマ性があります。すると〈きらきらと衰え朽ちてゆくもの〉、これもやはり雪片の描写でした。雪はここで、一瞬のきらめきを見せつつあくまで生命に背くもの、ほろびをあらわすものです。
奇妙と感じたのは、意識が雪から指へ移る点です。唐突ですが、高機能自閉症の子どもの行動例を連想しました。大人がたとえば空を飛ぶ鳥を指さして「見てごらん」と言うと、鳥ではなく指先を見るというものです。
しぐさに付帯する意味を理解できないということですが、この歌も「、」を境にふと思考が止まるかのような印象があります。雪に意識を吸われ、指先を見失いそうな。
北海道の気候にはそんなふうに、なにかを止めてしまうようなところがあり、結句の命令形はその風土を受けいれつつ意識は手ばなすまいという抵抗を示しているのではと考えました。
光る君、雪は希いのかけらなりわたしに降[お]りてあなたにも降[ふ]る
伏せているまぶた光れり雪の野を蒼蒼たりと見てきし人か
人間であることをけっして捨てない、忘れない作者です。