男(お)の子とは空を漂ふ鯉のぼりコントラ・ヴェンテにわが身曝して

柴田典昭『パッサカリア』(2006年)

5月5日、端午の節句は、古くは中国から渡来した行事。
旧暦の5月は盛夏にあたり、疫病や害虫の害がはなはだしく、悪月とされた。
陽数(奇数)の重なりを重んじたことと、邪気を払う意味から各種の祭礼が行われた。
日本では邪気を払うために、香気のある菖蒲の葉を飾ったのが、近世以降、菖蒲酒や菖蒲湯の風習が生まれたり、菖蒲=尚武の連想から武家を中心に武者人形や幟・旗指物を飾るようになった。
江戸中期以降、町人たちがこれに対抗して、鯉幟を立てるようになる。
鯉が選ばれたのは、中国の竜門伝説により、立身出世の象徴と考えられたからだった。
端午の節句に用いる菖蒲を古くはあやめと呼んだが、サトイモ科の多年草で、アヤメ科のあやめや花菖蒲とは葉が似ているだけで別種である。

郊外の広い空を泳ぐ鯉幟はうつくしい。
最近では、川の上に渡したロープに多数の鯉幟を飾っている地域もある。

コントラ・ヴェンテ、って語感が綺麗だ。
一首には、「外山滋比古のエッセーによると、『逆風』のことをラテン語では『コントラ・ヴェンテ』と言う。」と詞書がある。
鯉幟に望ましい男児の姿を見ることは常識的で、ややアナクロニックですらあるが、鯉幟が逆風のなかを泳いでいる、というところに一首の発見がある。
そう、言われてみれば、風に逆らうからうつくしく靡くのだ。

外山のエッセーの題は書かれていないが、その後『忘却の力』に収められた文章ではないかと思われる。
ながれに逆らって泳ぐ魚の姿が、逆境をおかしてすすむたくましい人間の生き方とかさねて書かれている。
順風、逆風というより、まるで風の止んでしまったような昨今の世相に照らすとき、一首の陽性の断言にはすこし違和感もあるが、そうした世相へのささやかな精神的抵抗やわが子の未来への祈りが、一首のひらくさわやかな初夏の空のむこうににじんでも見えるのである。

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