江戸 雪


あたまでは完璧にきみが描けるからときどきわたしは目を閉じている

樋口智子『つきさっぷ』(2008年)

そのひとを、眼前にいるその時その場所で分かることは不可能だ。
ほとんどのばあい、別れてからしばらくして、長ければ何年も経ってから、やっと「きみ」の在りようがみえてくる。
仕草、言葉、匂い、表情、声、などのパーツをたくさん繋ぎ合わせて、「きみ」というひとの像を結ぶのだ。
しかしやっと像を結びはじめたその「きみ」は、ほんとうの「きみ」だろうか。
そのうえ、ひとは変わっていくものだ。追いかけても追いかけても分からないままかもしれない。
だいたい、自分のことさえもよく分からなくなるのに。
そう考えていると、自分と自分をとりまくすべてのものがとても頼りなくおもえてきて、ふわふわした気分になり、落ち着かなくなる。

「あたまでは」自由に「きみ」の像を結ぶことができる。

一緒にいてわからなくなるときがある「きみ」。けれど、わたしにとっての「きみ」は、いつも頭の中では同じだ。だから「目を閉じて」、そっと「きみ」を確かめる。
なんだか、深い断絶や寂しさと背中あわせの陶酔感があり、おそろしくなる。
それでも、限度をこえなければ、それは幸福になる方法のひとつかもしれない。