わが童話聞くべく集まり来し児らに氷菓買うべく銭をかぞうる

浜田康敬『望郷篇』(1974)

 

連作「成人通知」の終わり辺りにひっそりと置かれた歌。

子供達を集めて童話を聞かせるばかりか、甘い氷菓まで買ってあげるとは、なんと心優しい青年だろう。……と、感じても一向に差し支えないはずなのだが、何か引っかかる。氷菓を買うという行為が、なぜだか変なものに見えるのである。

もう一度、連作を頭から読み返してみて、違和感の正体に気付く。「成人通知」は、12月から1月にかけての、厳しく寒い季節を詠んだ一連なのだ。

 

  活字拾う仕事にもすでにわが慣れて「恋」という字の置き場所も知る

  明日の朝は厳しく冷えるうわさして残業休憩の十五分終わる

  刷り間違えし忌中はがきの束なども焚火にくべて温みつつおり

  逢いしことこまごま記す日記帳吸取紙あて逆しまに文字吸わせつつ

  牛乳は窓に配達されてゆくきのうにつづく今日元旦も

 

活版印刷所で働くこの若者にとっては、「恋」の文字も「忌」の文字も、仕事の一部でしかない。恋の喜びからも死の悲しみからもニヒルに距離を取ってみせながら、しかし、自分の中の若さをどこか持て余し、秘かに苛立っている。そのような空気が伝わってくる。

連作は、

 

  豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている

 

というぶっきらぼうな歌で、ぷっつりと終わる。苦くて苦しい、二十歳のときよ。

こうした背景を念頭において読むとき、なけなしのお金をはたいて買い与える冷たい「氷菓」は、青年の尖った自意識以外の何ものでもないのである。

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