都築 直子


はらわたをさらすがごとくドアひらき総武線、中央線の客ら交らふ  

栗木京子『水仙の章』(2013年)

 

ああこれは御茶ノ水駅だ、と一読して思う。東京都千代田区にあるJRの駅だ。日ごろ私はこの駅で各駅停車から快速へ、またその逆へ電車を乗り換えるのだが、ここにはホームが二つあり、一つは総武線と中央線の上り列車専用、もう一つは双方の線の下り列車専用となっている。総武線は各駅停車、中央線は快速だ。快速が停まり、かつ上り列車はここから二路線の行先が分かれる御茶ノ水駅は、私のような乗り換え客の多い駅である。

 

同じホームでの乗り換えというのは、一見楽そうに見えるが、やってみると精神衛生に悪い。下りの総武線で御茶ノ水駅に近づくとしよう。ラッキー、中央線がドアを開けて停まっている、と思う間もなく発車ベルが鳴りだし、だが総武線はまだ減速中だ。こちらが停まり、ドアが開いて、向こうへ駆け込むまで中央線のドアは待ってくれるか。間に合え! 間に合ってくれ! ハラハラドキドキの始まりだ。たぶん路線間の時間調整はしていないのだろう、こちらのドアが開いたとたんに向こうが閉まることは、結構ある。だが、間一髪で間に合いそうな場合もあり、そんなときはドアが開いたとたん、乗客が向かいのドアへ殺到する。ホームは戦場だ。私にいわせれば、御茶ノ水駅の乗り換え客は、間違いなくこれで寿命を一か月縮めている。

 

〈はらわたを/さらすがごとく/ドアひらき/総武線、中央線の/客ら交らふ〉と5・7・5・12・7音に切って、一首三十六音。歌を読んだ者は、いま上にくどくど書いたようなことを、一瞬で思って膝を打つ。そうそう、その通り。ホームをはさみ、電車のドアはまさに「はらわたをさらすがごとく」開くのだ。苦々しく思っていたことを、あざやかなことばで描かれた快感。上句に平仮名、下句に画数の多い漢字を配したところもいい。

 

いや、御茶ノ水駅を知らない読者にはわからない歌ではないか、とあなたはいうかもしれない。だが、そうではない。たとえばこの一首が〈はらわたをさらすがごとくドアひらき海王線、冥王線の客ら交らふ〉という歌だったとする。海王線も冥王線も知らない私は、自分の経験に引きつけ、御茶ノ水駅のような駅がここにもあるのだなと想像を広げるだろう。歌の享受には何ら差し支えない。というより、むしろそれが歌のふつうの読み方だ。この歌の読者として、私は「たまたま現場を知っている」少数派にすぎない。

 

午後四時の地下鉄に誰もまどろみて都市の腸しづかに傷む  栗木京子『水仙の章』

*「腸」に「はらわた」、「傷」に「いた」のルビ

 

6月12日の本欄で、吉野裕之が紹介している一首だ。同じ歌集から鑑賞者それぞれの選んだ一首が、期せずして「はらわた」の歌だったというのが興味深い。

栗木京子を「はらわたの歌人」と呼んでみたくなる。

 

編集部より:栗木京子歌集『水仙の章』はこちら↓

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