亡き人の歌集を一日(ひとひ)ふた日読みつぎて思はぬところに幸(さきはひ)があり

吉田正俊『天沼』(1941)

 

吉田正俊は東京大学在学中に「アララギ」に入会。土屋文明に師事し、後に「アララギ」の編集・発行責任者となった。『天沼』は昭和九年に結婚し杉並区天沼に居をかまえ、その地名からつけられた。

この一首は誰の歌集を読んでいるのかわからないが、もう亡くなってしまった人の歌集を時間をかけて読んでいる。そのひとの人生をゆっくりとたどるような歌集だったのだろう。細かく歌をたどることにより、亡き人の幸せだった場面をみつけた。「思はぬ所に」という表現に、みつけた喜びがある。

 

わが一生(ひとよ)あるひは(さきはひ)おほきかもかなしみたりし一つさへもなし

おもおもと黄なる煙が草原の一隅に移動して個人の幸福など考ふる暇なし

 

「幸」という言葉を詠んでいる歌にはこのような歌もある。一首目にはちょっと驚いてしまう。そのままとると自分の一生は幸せが多いだろう、悲しんだことが一つもないという。とても満たされた気持ちであったのだろうか。昭和九年、結婚したころの歌である。また二首目は字余りで散文調の歌。「黄なる煙」は草原が燃えているのか、汽車の煙か、よくわからない。作者は煙の中に「個人の幸福」などと悠長なことをいってられないと感じている。

 

並べたる蘭青々と(すが)しきより家賃やすきをわれは思へり

しぐれ蛤買ひもつ妻がかたはらより(あたひ)をぞ言ふかがやく蘭の

香に立てる寒蘭の鉢をとり撫でて病の(つひへ)おもふわびしも

 

吉田の愉しみの一つは蘭を買って育てることだったようだ。一首目からすると、家賃よりも高い蘭を買っていたのだろうか。二首目は蘭の展示会を見に行っている歌。同じころの土屋文明の歌に「支那蘭の緑かがやく(くき)ながし午後三時銀座の高き屋上」とありこれに吉田も行っていたのではないかと思う。蘭の世界にはまったのも文明の影響かもしれない。晩御飯に「しぐれ蛤」を買った妻が蘭の値段を言っている。きっとその高価なことに驚いたのだろう。

三首目は盲腸の術後の歌。「寒蘭」というのもさまざまな種類のある蘭で、特殊なものは現代でも高価である。寒蘭の値段を思い出しながら治療費用のかさんだことを気にしている。文明には「蘭会場いでつつ思ふ富むころには性欲衰へゆく人々を」という歌もあり、蘭は高価な趣味の一つだったのだろう。文明のような捻りは吉田正俊の歌にはなく、蘭に対する物欲と生活の間で困っている心境が切実である。