みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれかきすらすらのはっぱふみふみ

大橋巨泉 CM短歌(1969年)

 

これ短歌か、と思われる方もいるだろう。ゆっくりお読みください。どうです、五七五七七になっています。しかも、ナンセンスのことば遊びのように見えながら、それらしい語句がうかびあがってくるではありませんか。

この短歌擬きは、テレビCMに使われた。1969年、昭和44年のことだ。大橋巨泉、当時「お笑い頭の体操」や「11PM」の司会者として洒脱な人気者であった。ゴルフから時事、音楽やお色気まで該博な知識を持つ新しいタイプのタレントとしてもてはやされていた。後におだてに乗ってのこのこと参議院選挙に立候補するような驕慢はまだあらわではなくスマートな知性が光っていた時代のことである。

CMは、大橋巨泉が画面にあらわれたなり万年筆のキャップをとり、その万年筆で何かを書く。そのときに、この短歌擬きをとぼけたように口にして、最後にこちらを向いてペンをかざして、「わかるネ、ぶはははは」と笑いとばすという短いが、強烈な印象を植えつけるCMであった。40年以上前のCMながら、よく覚えている。

ナンセンスな言葉遊びに聞こえながら、よくよく聞き、また同じようにつぶやいてみると意味らしいものがうかんでくる。

短い。キャップをとれば。過ぎ?すぐ?すぐ書ける。ちょびれ=ちょび筆。書く。すらすら。すらすら書ける。はっぱ=葉がき。ふみ=文(手紙)……こんな単語が点綴され、全体を短歌の調子が結んでいる。出まかせの口遊びのようにみえながら、それなりの万年筆にかかわる意味が浮かぶ。

これが即興なのか、台本があってのことなのかわからないが、巨泉を強く印象づけるCMであった。また万年筆の宣伝としても、相当の効果があったと聞く。

私は中学一年であった。この口遊びが短歌形式であることが分かるくらいには知恵がついていた。そして、考えてみると短歌を現代の表現として知ったのは、この語呂合わせが最初だったのかもしれない。この語呂合わせが気に入って、何度もなんども口ずさんでいた。

この歌を思い出したのは、岡井隆が『現代百人一首』(朝日新聞社)に選んでいたからだ。岡井のこのアンソロジーは、迢空、茂吉、文明から穂村弘、小泉純代まで現代の短歌世界から広く、また岡井好みの選択で楽しい詞華集であるが、このように巨泉のナンセンス短歌、皇后美智子、あるいは村上一郎など歌人外への目配りもあって、岡井の歌の容量の広さ、思考の深さに感心する。この巨泉のCM短歌についても、鋭利な分析がある。ぜひ読んでいただきたい。