けし、あやめ、かうほね、あふひ、ゆり、はちす、こがねひぐるま夏の七草

高野公彦『河骨川』(2012)

 

思いつきがよく、花のセレクトも美しく遊び心のある一首。七草といえば春は「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」秋は「はぎ、おばな、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、あさがお」で和歌になっているのは秋の方である。山上憶良が「萩の花尾花葛花なでしこが花をみなへしまた藤袴朝顔が花」と万葉集で旋頭歌にしている。春と秋があるのに夏の七草がないということを、高野の歌を読むまで考えもしなかった。

ひとつずつ見ていこう。「けし」にはいろいろ種類があるが、単純に雛罌粟(ひなげし)のような野に咲くものと思う。「あやめ」も草原に咲いている紫の花で、網目の模様がある花だ。「あふひ」は「あおい」だが、これは何かと考えた。真っ先にイメージするのは「ふたばあおい」で京都の葵祭りで使われる草の名だが、「たちあおい」とも考えられる。庭などによく植えられ、背の高い茎に一列に華美な花をつける、夏らしい花。

「かうほね」は「河骨」で水辺の植物。夏に黄色い花を咲かせる。花の名は文字通り、白い茎が骨のように見えるからだそうだ。この歌集のタイトルも「河骨川」で、これは東京に実際にある川の名であるという。

「ゆり」もいろいろな種類があるだろう。可憐な「笹百合」や堂々とした山百合、オレンジ色の鬼百合など。野に咲くものであればどれでもいいだろう。「はちす」は「蓮」。花托が鉢の巣に似ているから古名が「はちす」であり古名を入れているのが効いている。

最後の「こがねひぐるま」は「向日葵」。与謝野晶子の「髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま」という歌が思い出される。

全体を見ると「はちす」まで清音できて、最後に濁音の華やかな夏の花があって、重みと輝かしいイメージが出ている。また「河骨」という水辺の静かな花を入れたところ、一首にアクセントをつけているように思った。

万葉集には「(なし)(なつめ)(きみ)(あは)つぎ()田葛(くず)(のち)も逢はむと(あふひ)花咲く」と六種類の植物を詠み込んだ面白い歌もある。こういう歌も高野なら現代版でうまく作れそうだ。

 

最後に「河骨川」からもう一首。

 

昼空に月淡く在りつねに今日(、、)は高野公彦最長寿の日

面白い歌だと思うと同時に怖さもある。常に今日という日が人生の最先端であり、常に隣り合わせに死があることを考えさせられる。