宿ちかく花たちばなはほり植ゑじ昔をしのぶつまとなりけり

花山院『詞花和歌集』(1151年)

 

花山天皇、花山帝、花山院、いづれにしても凄味のある諡号だ。諱は師貞(もろさだ)。神武天皇から数えて65代。『大鏡』に伝える出家と退位をめぐる藤原氏の陰謀や藤原伊周、隆家による襲撃事件などエピソード多い天皇で、気になる存在である。

『大鏡』に伝えるように退位とともに出家、入覚の号を持つ。安和元(968)年に生れ、翌年には叔父円融天皇の即位時に皇太子となる。即位は17歳だが、在位は二年足らず、藤原家の陰謀に振り回された。退位と同時に一条天皇が7歳で即位、藤原氏の全盛時代が完成する。

乱心、狂乱の説話も伝わる。好色、また父冷泉の狂気の血を引いてか、即位の日に高御座に馬内侍を犯したという伝承がある(『江談抄』『古事談』)。そして、和歌に関しては殊の外に熱心であったようだ。今日のこの一首を味わってみよう。

丸谷才一『新々百人一首』(新潮文庫)に、この一首は選ばれている。丸谷才一が、日本の古典文学に深い理解があることは周知であろう。そこには國學院とのかかわりが一役果たすのだが、それは機会を改めよう。丸谷の愛する古典和歌から、定家の『小倉百人一首』の向こうを張って、新たに百人の歌人から一首づつを選んだのがこの『新々百人一首』、丸谷版百人一首である。和歌・短歌を愛する人必読の書物である。

さてこの一首、まず調べに注目してほしい。すらっと読める。これは花山院の特色かもしれない。二、三注目した歌を引いてみよう。

 

秋ふかくなりにけらしな蟋蟀(きりぎりす)ゆかのあたりにこゑきこゆなり

長き世のはじめをはりも知らぬまに幾世の事を夢に見つらむ

苗代の水かげあをみわたるなりわさ田の苗の生ひいづるかも

 

こんな調子だ。停滞なく読み下せる。狂気を疑われる花山だが、少なくとも狂乱の歌ではない。一首目のきりぎりすの鳴く声に秋を感じ、二首目は夢、そして三首目の苗代田の景色、抒情味を感じさせて、調べが魅力だ。

そして、今日のこの一首だが、「甘美な抒情性」のみに終わるわけではない。丸谷は「つま」に仕掛けがあると言う。1つは、一句「宿」の縁語として軒の端の意。2つは、糸口、手がかり、つまり橘の花のせいで昔をなつかしむ。3は、妻、夫。男だろうと女だろうと、橘の花に思いを誘われて、昔の恋をしのぶ心となる。この三層が合わさってこそ、複雑な味わいになる、というわけだ。そして結句の「けり」、気づきの助動詞、見のがしていたことに気づいて驚く。

勿論、この一首、かの有名な「さつきまつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(『古今集』読人しらず)を踏まえている。そして、それだけではなくある漢詩の反映を指摘するのが、丸谷の読解である。

中唐の李賀「樹を植ゑるなかれ」を、「同じ中唐の白居易の詩があれだけもてはやされたのだから、花山院が李賀の詩を読んでゐなかつたと断定することはむづかしい」と丸谷は述べて、その五言絶句を引く。書き下しを示す。

 

園中に樹を植ゑるなかれ/樹を植ゑれば四時愁(うれ)ふ

独り南牀(なんしょう)の月に睡(ねむ)る/今秋も去秋に似る

 

丸谷は、更にこの絶句の訳を紹介している。かの日夏耿之介の訳である。題は「樹を植ゑてはいけない」。

 

庭に樹を植ゑてはいけない、/樹を植ゑると、年中こころ愁はしいから。

ひとり南むきの牀(ねだい)に月をみて睡る/この秋も去年(こぞ)に似たのか

 

中国との文化交流を遠く想い、また古歌の継承、さらに古びぬ詩歌の生命を考えさせる。花山院また豊かな文化の王の一人であった。花山院のイメージは、近ごろ読んだ萩耿介『炎の帝』(中公文庫)になにがしかの影響を被っているかもしれない。