建つるなら不忠魂碑を百あまりくれなゐの朴ひらく峠に

塚本邦雄『魔王』(1993年)

 

塚本邦雄もまた戦中派歌人であった。前衛派という彩りがあまりに強烈で、どこか敬遠していた塚本邦雄の歌を真剣に読むようになったのは、塚本が戦中派であることに気づいてからだ。私の塚本邦雄開眼は遅い。第19歌集『魔王』(書肆季節社)によってだった。

この歌集は詩歌専門書店に買い求めた。塚本の歌集は豪奢だが、その分高価だから、安価な選集のようなもの以外買うことはなかったのだが、この歌集はページを捲るだけで、手に入れるべきだと思わせた。巻頭歌が魅力的であり、開くごとに眼を射る戦時用語、そして「世紀末の饗宴(ガラ)」と題した「跋」を立ち読みするに到り、手もとに置くよりないと覚悟した。期待は裏切られず、以後塚本の歌集は気づけば求め、全集も予約購読した。高価な全集を求めたのは、出版書肆に上條雅通氏がつとめていたからでもあるが、塚本文学の魅力ゆえであることは言うまでもない。ちなみに上條氏は「人」短歌会以来同志のように思い、「人」解散時に彼は「笛」を択んだが、その思いは変わらない。今は藤井常世亡き後の「笛」を支えている。短歌の上ではもっとも親しい、ほぼ同年輩の友人である。

話が逸れた。

『魔王』の「跋」に、こうある。

 

「主題は短歌なる不可解極まる詩型の探求であり、謎の巣窟たる人生と世界への問ひかけであつた。その核に〈戦争(ラ・ゲール)〉のあることは論をまたない。今日もなほ記憶になまなましい軍国主義と侵略戦争、今日も世界の到るところに勃り、かつ潜在する殺戮と弑逆。明日以後のいつか必ず、地球は滅びるといふ予感、その絶望が常に、私の奏でる歌の通奏低音となつて来た。今後もそれは続くだろう。」(原文正字)

 

この豁然たる言挙げ、こんなに明瞭に主題が「戦争」であることを、これ以前に塚本は元明していたであろうか。少なくとも私は知らなかった。そして「今なお記憶になまなましい」という塚本にとっての「戦争」――心して読むよりあるまい。

 

黒葡萄しづくやみたり敗戦のかの日より幾億のしらつゆ

 

「沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ」(『小園』)と歌う茂吉へのオマージュである一首を巻頭に置いて、『魔王』は、戦争を、敗戦を歌うと宣言するのである。

 

銀木犀こぼるるあたり君がゆき彼がゆきわれは行かぬ戦争(いくさ)が

冬空はシベリア色にたれこめて英霊がまた還りつつあり

さるすべりわが眩暈(げんうん)のみなもとに機銃掃射の記憶の花火

世紀末まなかひにある花の夜をいくさいくさいくさいくさい

「聖戦」の記憶は蚤と油蝉、曖昧なる敗北のメッセージ

半世紀のちも日本は敗戦国ならむ灰色のさくらさきみち

 

このイメージの喚起力をみよ。これ塚本邦雄である。そして「君がゆき彼がゆきわれは行かぬ戦争」、「機銃掃射の記憶の花火」、「蚤と油蝉」に「曖昧なる敗北のメッセージ」は、塚本の実際の体験を裏付けているように思える。塚本は、敗戦後50年を前にして、あらためて戦争の記憶を呼び戻した。それほどに塚本の戦争への憎しみは深い。それが今日のこの一首によくあらわれている。

日露戦争以後、日本各地の村むらに建てられた忠魂碑、村じゅうが見渡せる一等地の丘の上に戦死者を讃える慰霊碑だが、見向きもされなくなった戦後の無惨。忠魂は、まさにのろわれた言葉である。もし今建てるのならば、国家に殺された若き兵士たちの「不忠魂」の碑を。それも朴の花咲く峠に、おびただしい数の碑をいっぱいに。白く咲くはずの朴の花も、そこでは血と憎しみに紅色に咲き出すに違いない。それほどに戦争に人生を巻き込まれたわれわれの憎悪は深い。塚本は、そう歌った。

塚本邦雄は、近江商人の本拠地、五個荘に生れ商社に勤め、戦争の期間、広島県呉に軍事徴用されている。広島への原爆投下を目撃している可能性もあるという。戦争への嫌悪は激しかったに違いない。