打ちこみゆく仕事われにあれ棋士ふたり投了ののち黙して憩える

香川 進『甲虫村落』(1973年)

 

世の中にはいろいろな職業があって、プロの棋士というような特殊な仕事もある。その姿を見ながら、あんなふうに自分も仕事に打ち込みたいと作者は願う。勝負がついたあとで、黙ってお茶を飲んだり一服したりしている棋士の姿が、好もしく、またうらやましい。仕事が、あのように緊張感を感じられる真剣で無私の時間を含み持ったものでありたい、というのだ。

最近私は、中野重治の「素樸について」という文章が出題されている都内のある大学の入試問題を見つけた。いまどき中野のこういう文章を引っ張り出して来て若者に読ませようとするなんて、出題者の意気を買いたい。私が勤務している高校の担当クラスにその大学を受けて合格するような生徒はほとんどいないのだが、三年生の「現代文」の一月最後の授業で、私はその問題文をプリントにして配り、一年間の授業をしめくくった。もう入試は始まっており、三十八人のクラスのうち十人以上が欠席していたが、欠席者の机上にもプリントはきちんと置かれた。

車輪を発明した人のことは誰も知らない。でも、そういう文字に残らないような仕事を黙々とする人に対して、敬意を持つことができる人は、賢い人だ。世間の大抵の人は、そのように誰にも知られない仕事を懸命にやっているのである。それが仕事に対する「素樸」な態度というものだ、というようなことを中野重治は説いていた。