江戸 雪


見ないまま抱きあふとき骨格のふかさの中でわが咽喉ほそき

河野美砂子『無言歌』(2004年)

「抱きあふとき」の体感を、リアリティを持たせるのはなかなか難しい。
この歌はそんな難しさなど感じさせず、美しく描ききっている。
そのうえ、小道具(?)はふたりの身体そのもの。

まず「見ないまま」は、眼を閉じているか、暗闇だということだろう。
視覚をそぎ落すぶん、そのほかの感覚が鋭敏になってイメイジがひろがる。あるいは抱きあうという行為への歓びがふかくなる。

抱きあうということだけに神経をかたむけていると、おたがいの「骨格」を意識しあうようになるのだろう。
「骨格のふかさ」というのはどういうことか。なんとなくの表現だが、なんとなくわかる気もする。
お互いの骨格が組みあわさって、複雑になってゆくということだろうか。
それとも、相手の骨格に包みこまれるような感覚になるのだろうか。

そうして読んでいると結句の「わが咽喉ほそき」に感覚はいきつく。
抱き、抱かれて、そのいちばん中心におかれている芯のようなおたがいの「咽喉」は、呼吸し声をあげながら勁く息づいている。

わたしの「咽喉」はなんて細いのだろう。
ふだんは意識しない「咽喉」、自分の身体のいちぶ。こんなふうに抱きあって初めて知るってこともあるのだ。