手のひらに豆腐ゆれゐるうす明かり 漂ふ民は吾かもしれず

川野里子『青鯨の日』(1997年)

歳時記には、食べ物に関する季題も多い。
新豆腐、といへば新蕎麦と同様、その秋にとれた大豆でつくつた豆腐で秋の季語。
湯豆腐、は冬季。高野豆腐、は凍み豆腐ともいって、もとは氷点下の屋外でつくられたので、これも冬季である。

連作で読むと、一首はアメリカに住んだときの歌だとわかる。
黒人と白人、ゲイのひとたちやユダヤ系のひとたち。
様様なひとの住むアパートに主人公は暮らしている。
異国の地で、豆腐を手にのせると、じぶんもそんな様様なひとのひとりであることがしみじみ感じられる。
「漂ふ民」とは直接にはユダヤ系のひとたちを念頭においているのだろう。
でも、もしかしたら、異国の地で歌を詠んだり読んだりしている自分こそが、この街の誰よりも「漂ふ民」であるのかも知れない。
下句にはそんな感懐がこめられている。

上句は小説家、劇作家で俳人だった久保田万太郎最晩年の有名な句、
  湯豆腐やいのちの果てのうすあかり
の本歌取りである。
万太郎の句に描かれているのは、波乱にとんだ人生の晩年を意識したときに見えた「うすあかり」だ。
一首の主人公はまだ若いが、遠い異国の地でやわらかな豆腐を手のひらにのせたとき、いのちの果て、に通じるような、はるかな思いを抱いたにちがいない。

  異国を見しならず異形の日本を見しよと冬の木に告げてみぬ
歌集には、こんな一首もある。
アメリカという異文化を見てきたのではなく、その異文化を鏡として、自分自身がどっぷりと身をひたしてきた日本文化の特異性を痛感した。
そこにあるのは、けっして卑下する気持ちではなく、寒風に枝をさらす冬の木のような、凛凛とした矜恃だったのだろう。

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