虫武一俊『羽虫群』
(2016年、書肆侃侃房)
小説の一節みたいな印象です。
初句・第2句は妹のせりふで、つまり〈妹〉は〈おれ〉のことを“現状がだめな兄”とみなしており、〈おれ〉は〈妹〉がそうみなしていることを知っており、〈妹〉は〈おれ〉が〈妹〉の見解を知っていることを知っており……。
と、書いてゆくと精神分析家R.D.レインの詩集『結ぼれ』に出てくるような二者の心理の絡まりがこの歌に畳まれているのが見えてきます。袋小路です。
第4句・結句が展開部で、さて袋小路を脱するかどうかというところ、本書の解説で石川美南さんも指摘するとおり〈髭の人〉はなかなか意外なフレーズです。
この人はカウンセラーか、仕事の斡旋者か、友人候補か、という認識ではなく。
相手が自分に対してどういう立場にあるのか、その把握ができず、とっさに外見の特徴が意識にのぼってしまう。その“とっさ”感が唯一のポエジーとなり、小説的な一節を短歌に変えています。
したたっていただけなのに液体と定義をされて 液体のおれ
かつて「俺」という一人称には自信のあらわれ(自分への疑いのなさ?)がありましたが、いまでは「私」「僕」より私的な自己像といったニュアンスでしょうか。ひらがなだとさらに、自我の定めどころに迷っている感じです。
全体に、自己評価の低さを諧謔に変えてゆく作風ですが、他人に愛されるかどうかよりも自我の弱さ、不安定さを問題にしているところは男性ジェンダーに顕著なものなのかと、考えました。