光森裕樹


救命の練習用の人形に雑にあけられている耳穴

安錠ほとり「味噌汁4リットル」(『阪大短歌』5号:2016年)


(☜9月15日(金)「学生短歌会の歌 (13)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (14)

 

運転免許取得のための救命講習か、あるいは大学の授業か。ともかく習った救命方法を人形で試すように促された場面だ。目の前にごろりと横たわった人形を見やると、てきとうな仕事で空けられた耳の穴が見え、それをまじまじと見つめてしまう。
 

この穴は一体なんのための穴なのか。心肺蘇生法に耳の穴は関係ないだろう。たとえ、「耳から血が出ていないかを確認する」という項目が一連の手続きにあったとしても、人形の耳に穴を空けておく必要はなさそうだ。
 

必要であれば丁寧に作られるべきで、不必要であるならば作らなければいい。そのような存在の「雑にあけられ」た耳穴は、まるで<トマソン>のようだ。しかし、私のこころは踊らず、救命講習のダルさばかりが強調される。
 

金曜は燃えたいゴミの収集日袋はないから各自丸まれ

 

同じダルさを感じさせる一首を連作から引いてみた。
 

「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」という一般的な表現の「燃やす」の主語はゴミの持ち主である「私」だ。しかし、ゴミを出すのは面倒であるし、そもそもゴミ袋も切らしている。なんだかダルいや…という投げやりな気持ちが、「燃えたいゴミ」が勝手に「各自丸ま」ってくれたらいい、という表現ににじみ出ていて面白い。
 
 

(☞次回、9月20日(水)「学生短歌会の歌 (15)」へと続く)