うしろより『わ』とおどせしに、/先方の、おどろかざりし、/ ごとき寂しさ。

土岐哀果『黄昏に』(1912年・東雲堂書店)

 

驚かしたり驚かされたりして、子どもの頃は友人と心の距離を縮めていったものだ。驚かすのは悪意でなく親近感。「おどろいた?」「うん、びっくりしたなあ」などと言いながら、学校帰りの道を歩くのである。「一緒にかえろう」と呼びかけてもいいが、それでは平凡。無邪気な悪戯でちょっと気分を波立たせてみたい。だが、思うようにいくとは限らない。この歌では目論見が外れた。一瞬のことだが、浅はかな自分を思い知らされたようで、空回りした自分の処分に困る。その心境が比喩として使われた一首である。平易に歌われているが、微妙な心の動きを捉えている。

 

土岐善麿は、若い時期に、湖友、哀果という筆名をつかい、のち本名の善麿で執筆した。金子薫園の「白菊会」に拠ったが、やがてそこを離れ、牧水、啄木、迢空をはじめとして幅広く交流をひろげた。また大杉栄や荒畑寒村などの社会主義者とのつながりもあり、伝統的教養を継ぎつつ、時代の新しい動きを察知した知識人だった。

 

あきかぜ

ひとのことばのはじばしの、にさはるたび、

口笛くちぶえをふく。

 

焼跡やけあと煉瓦れんぐわのうへに、

小便せうべんをすれば、しみじみ、

あきがする。

 

『黄昏に』は短歌の可能性を模索して書かれた三行書き。啄木も三行書きを試みているが、読後の印象は異なる。比較してみると面白い。