洗濯機回る音すらうたた寝に母在りし日の音とし聞こゆ

柳宣宏「仮住まひ」(「短歌往来」2018年9月号)

 


 

「仮住まひ」は12首からなる。

 

今日の一首も含め、この一連は次のように始まる。

 

自宅を改築す

アパートの二階に仮の住まひして母の写真をテーブルに立つ
アパートの踊り場に立つ朝六時山を仰ぎて路へと下る
立ち喰ひは箱根そばより富士そばのつゆやや濃くて富士そばが好き
洗濯機回る音すらうたた寝に母在りし日の音とし聞こゆ
CMもテレビも若く「リボンちやん、リボンジュースよ」母も若くて

※「自宅を改築す」は一首目の詞書。

 

自宅の改築のため、臨時で別にアパートを借りて、そこに住んでいる。そのアパートで、テーブルに亡母の写真を置く。似たようなアパートに母親と暮らしていた頃があったのか、あるいは、狭くて古い空間が昔を思い起こさせるのか。自宅でもおそらく飾っていたはずの母親の写真が、住む空間の変化によって、いつもとは違った表情を見せ、自分の心身を過去に引き戻した、ということではないかと読んだ。写真に限らず、空間の変化がものごとの印象や意味合いにいつもとは違うものを付加する、というのは十分想像できるし、空間の変化そのものが僕たちの心身の記憶をくすぐったり心身を新しくしてくれたりするといったことも、よくわかることだ。

 

一連12首のうち、この5首でだいたいのひとつのまとまりになっているのだが、たったこれだけのなかに、さまざまな情報や読者の体感を刺激するあれこれがたくさん盛り込まれている。アパートの踊り場から山を見やる。早朝の空気がただよう。向こう側に山を配した、空間的な奥行きが感じられる。山の背景には高い空が見える。山と空に向かった視線は、戻ってきて足元を確認する。そのまま外階段を下りていく。濃いつゆが読者の味覚をも刺激する。味覚から派生してにおいもただよう。立って食べる様子が見える。そばをすする音が聞こえる。立ち食いのときの足の感じや丸めた背の感じも追体験できる。「立ち喰ひは」の初句が思いのほか利いている。特に三句目以降、「富士/そば」「の」「つゆ」「やや」「濃く/て」…というふうに二音を中心とした語の構成が、小刻みのリズムを、しかも「つゆやや」のヤ行音の効果だろうか、とてもやわらかい感じでつないでいて、フィジカルなところでも心地よさをもたらすように思う。「富士そばが好き」の結句はちょっと、かわいらしくさえある……だとしたらそこにはユーモアがにじむかもしれない。そして、洗濯機の音が聞こえてくる。狭いアパートで寝転がっている。床に近いところに耳がある。体にも振動が伝わる。うたた寝の、夢ともうつつともつかないなかに、その洗濯機の音が聞こえ、母親の立てる物音まで聞こえ、そしてCMの音声も聞こえてくる。CMの映像が見え、やがてそこに若い母のおもかげが映る。一首一首の輪郭も濃いが、5首を追っていくうちに、遠近、高低、大小、現在と過去、夢と現実、のあいだを行き来するような、そしてそれらを同時に味わうような、読むほどにゆたかな体感を得られるように思う。

 

今日の一首、こまかく読めば、洗濯機回る音「すら」は、それ以外にも「母在りし日の音」が、あるいは「音」以外にも母を思わせるものが、このアパート暮らしにはあるのだと思わせる。それくらい母を思ってやまないのだと想像させる。強めの助詞「し」が、一首を端正にまとめながら、洗濯機の音と、母の存在感と、「すら」と自覚しつつも母を思う主体の輪郭を、いっぺんに濃くしている。

 

リボンちゃんのCMを知らない方はぜひ動画検索などをしてみてください。

 

最後に、同じ一連からさらに2首引く。

 

そら豆のしやくれた顎は、あ、さうだ、宇野重吉の頰笑みし顔
横浜のベイクォーターをポロシャツの衿立てて行く昭和丸出しに/柳宣宏