染野太朗


写真に忘れられた海岸をきみもまた忘れるだろう どこまでも道は

平岡直子「2階には小さな窓」(「率」通巻4号(通常版)、2013年)

 


 

平岡直子の「日々のクオリア」は、そのつど、歌のひとつひとつ、歌人のひとりひとりと向き合い、それを分析し、本質をつかみとりながら、最終的にその歌や歌人を「やわらかく包み込む」という姿をしていた。平岡の「包み込む」にはバリエーションがあって、挙げようと思えばきりがないけれど、たとえば最近では我妻俊樹の回のゾンビの話、あるいは初谷むいの回の商業施設やサンリオショップの話を読み返すとひとつわかりやすい。一首や歌人に向かっていくその道のはじめに、あるいはその途中に差し挟まれる、平岡自身による「現実世界への解説」(もちろんゾンビは現実世界のものではないけれど)は、歌に手が触れてしまうその前に、僕たちのこの現実を新しく見せてくれた。現実を再発見させてくれた。それは平岡のまさに主観によるものだったけれど、その主観を形成する要素はするどい批評を含み、すなわち俯瞰を含み、相対化を含んでいて、だからそれは現実世界への平岡の感想ではなく、あくまでも客観的な解説として読めた。でも文体のやわらかさだけは主観を手放さない。だからそのするどさは攻撃や批判には向かわない。中立的な批評の印象が保たれ、しかも、どこを取り出してもやわらかかった。俯瞰のぶん、余裕があった。ユーモア、と呼ぶのももどかしいくらい楽に笑わせてくれもした。そういう余裕があった。とりあげられた歌はその余裕に包み込まれていたから、平岡の文章のなかで動き回り、歌自身がたのしそうに遊んでいる、という印象だった。そのような印象のもとで、道のはじめや途中でなされた現実の再発見が、喩や補助線となり、歌の構造やそれが見せる景や思想に輪郭を与えていた。平岡の文章によって歌がかがやきを増した、その「かがやき」とはつまり、現実世界への眼差しをテコにした、歌の再発見によるもの。歌そのものだけを見ているのでは決してかなわないもの。平岡は歌を見ながら、その向こう、その奥、というより、いつも「その周囲」を見ていた。その眼差しは一本道のようではなく、つねにグラウンドのような感じで、広々としていた。その広さに置かれたとき、歌の言葉がかがやいた。佐藤佐太郎の回の「秋分の日」という語の再発見など、圧巻だった。

 

電車の床に着眼するのも、実際には運ばれているわけではない光をあえて主観的に「運ばれて行く」と描写するのも、それなりに巧みな表現なのかもしれないけれど、そんな巧さが名歌を生むわけじゃない。この歌の奇跡は「秋分の日」という言葉のおそろしいほどの効き方にある。

 

このようにして始まる分析は、歌の中の言葉ひとつひとつをフラットな地平にあらためて放り出して、遠く上方から眼差しを送らなければ見えて来ない。俯瞰というだけでなく、その放り出し方にしなやかさがなければ見えて来ないはず。ここで言うしなやかさとは、つまり、佐太郎の一首あるいは短歌一般における「秋分の日」という語のみならず、僕たちの日常の言葉としての「秋分の日」に対する目配りがもたらすもの。「秋分の日」という語そのものを、あらゆる語やその文脈を包括する言語空間に自覚的に放り込み直すからこそ見えてくる指摘。

 

写真に忘れられた海岸をきみもまた忘れるだろう どこまでも道は

 

「日々のクオリア」の書き手としての平岡直子を今日の一首の作中主体に重ねるのは乱暴に過ぎる。というか、してはならないことだろう。けれどもこの「どこまでも道は」の「どこまでも」と「道」の価値や質感の決まらなさを思うとき、僕は、僕の視野には入りきらないグラウンドのことをどうしても思ってしまう。

 

「写真に忘れられた海岸」。写真が写さなかった海岸、ということだろうか。その日の景に海岸はたしかに見えた、でも写真には、海や魚や波は写っていても、海岸そのものは写らなかった、写さなかった。この読み方がいちばん妥当であるとは思う。ただ、あるいは、写真の中に置いていかれてしまった海岸、ということかもしれないとも思う。それを写したことに満足して、肉眼で見た海岸そのものを忘れてしまったということ。もしくは、写真に撮るということそれ自体が「忘れる」ということなのだ、ということ。写真に撮るというとき、その瞬間は、記憶やナマの眼差しによってそれをとらえることをやめる、あきらめる、放棄する、ということだから。眼前の海岸と写真に撮られた海岸は、まるで別物であるということ。

 

僕はこのブレを、自分の誤読・見落としだとか、そもそも歌の助詞のあしらいが曖昧なのだとかいうようにはどうしても思えない。詳述は避けるが、その曖昧さをむしろ表現の核に据えるかのような歌が、平岡の歌には散見される。日本語の統語の規則をややはみ出すこと、それそのものが修辞として機能するような歌が平岡の歌にはあきらかにある。例えば〈三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった〉の「悲しいだった」であれば、いかにも作意として読みやすく、だからこそ積極的に読まれるけれど、それ以外にも注目すべき「はみ出し」は多いと思う。

 

いずれにせよ、ここに登場した「海岸」は、人にもモノにも忘れられる。人間にも機械にも忘れられる。主観にも客観にも忘れられる。意思にも血が通わずとも作動するシステムにも忘れられる。

 

そのなかで確実なのは、「忘れるだろう」と言っているこの人は、眼前に見た海岸も、写真が写さなかった海岸も、写真に写りながら(写されたからこそ)忘れられた海岸も、海岸あるいはその他のものを「忘れるだろう」とされている「きみ」のことも、その視野に収めているということ。すべてに眼差しを送りきっているということ。この人にも忘れてしまう可能性があったとして、でも今はまだ忘れていないということ。

 

自分はここに立ってすべてをまだ覚えている。しかし「忘れるだろう」という未来への時間を導くかのような「道」は、そして「海岸」が誰からも何からも忘れられてしまったあとにも続いていくのであろう「道」は、すぐそこに見えている。その道の途中で「きみ」も、写真と同じように、他の誰かと同じように、きっと忘れてしまうのだろう……というふうに読めば一応の形はつく。けれどもこの唐突にあらわれた「道」はいかにも抽象的で、「海岸」や「写真」に接続していない、どこか別の次元にある「道」のようにも思える。その唐突さゆえにそのように見える。

 

この「道」は、平岡直子の眼差しの範囲の、どこを通るどのような道なのだろう。そのように考えたときの途方もなさは、「どこまでも道は」というフレーズそのものが喚起する一般的な途方もなさの上位にある。俯瞰のてっぺんに立って「忘れるだろう」と言うとき、それは必ずしも悲しいこととも思えなくなる。反転して、「忘れてよいのだ」と言われているような気にもなる。「忘れる」ということの価値が定まらなくなる。

 

そしてもう一度この一首を眺めてみる。すると、どのような「海岸」もこの人は見ていないのかもしれないという可能性に気づく。また、「忘れるだろう」「海岸」が別のなにかの比喩である可能性だってある。この人は、何を眼差してこのように言っているのだろう。

 

そこに歌として言葉があるのに、その言葉は、そしてそれが見せる景や思考や感情は、この現実世界をいつもどこかはみ出している。

 

誰ひとりわたしがここにいることをしらないだろう心をやめて
裸ならだれでもいいわ光ってみて泣いてるみたいに光ってみせて
似合う、ってきみが笑ったものを買う 生きてることが冗談になる

/「2階には小さな窓」

 

平岡直子の歌は、なんらかのミニマルを目指すかのような、自らの手の届く範囲だけを対象にするかのような口調を示しながら、眼差しはとても高いところにあり、見渡している範囲が広い。その広さに放り込まれるとき、僕はどんな歌においても、いつでも、「忘れるだろう」と言われているような気がしてくる。「忘れてもよい」と言われている気がする。それは本当に悲しく、同時に、どこまでも解放的なことだ。