人見絹枝/スポーツに我身(わがみ)くだけと思(おも)ひしも去年(こぞ)のことなり今(いま)は淋(さび)しも

人見絹枝(1931年作)
※表記は三澤光男「短歌からみた人見絹枝の人生」(「日本女子体育大学紀要40」・2010年刊)に拠る


 

 

NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」は毎回ではないもののできる限り見ている。前回の第26話「明日なき暴走」は、日本人女性としてはじめてオリンピックに出場し、日本人女性初のオリンピックメダリストになった人見絹枝を軸に描いた回であった。人見絹枝役の菅原小春の演技が絶賛されており、陸上100メートル走予選で惨敗した後、周囲の反対に対して800メートル走への出場を訴えるシーンは確かに胸に迫るものがあった。

 

以前ウィキペディアの人見絹枝の項目に「人見は女学校時代から文学的資質を認められていた。文章が巧みで、海外遠征中でも、また死の床に在っても短歌を詠んだ」とあるのを読んでいたので人見が短歌を作っていたのは知識として知っていたが、作品を読んだことはなかった。今回調べてみたら、人見が所属していた二階堂体操塾の後身校である、日本女子体育大学名誉教授の三澤光男が「競技者人見絹枝の短歌歴について」、「短歌からみた人見絹枝の人生」、「人見絹枝日記の研究」などの論文を著していた。そこに多くの短歌作品が引用されているので、今回はその論文を基に人見絹枝の短歌を読み進めてゆきたい。

 

人見絹枝が24歳の生涯で作った短歌は現在までに137首確認されている。短歌を作るようになったきっかけは、小学校6年生のときに教諭の岡崎静子より手ほどきを受けたことによる。その際、岡崎は「この子に本格的に短歌を教えてみたい」と思ったと後に語っている(「競技者人見絹枝の短歌歴について」)。

 

人見の短歌の発表媒体は、『スパイクの跡』『戦ふまで』『ゴールに入る』など書籍として刊行された自伝および大阪朝日新聞や岡山高等女学校の校友会誌「花たちばな」などだが、日記や書簡に書かれた歌も発見されている。

 

掲出歌は1931(昭和6)年の作品。この年の4月(3月とする資料もあった)に喀血のため入院し、8月2日に結核による肺炎により亡くなっている。掲出歌の、自分が打ち込んできた陸上にわが身が砕けてもよいと思っていたが、それも去年のことであり今は病床でそのことを淋しく思っているという意味内容に不明なところはない。この年は22首の歌が確認されているが、すべて入院中に作られたもので、

 

 

無心(むしん)にもものいひたげないぢらしさ人形(にんげふ)抱(だ)きて一(ひと)ときすぎぬ

 

 

という歌も見られる。この歌も同じ環境下の歌で、意味内容はやはり明瞭である。自己の身体の不如意とそこから発生する心情を人形に託する手法自体はよく見られるものだが、状況と心情を過不足なく言い得つつ、心情の描写に重きを置く。どちらの歌も現状を簡潔に説明しつつ率直な思いを吐露する。両方ともかなしみは充分に湛えられ読者もそこに共感できるが、必要以上に感傷に耽ったり湿っぽくはなっていない。冷静な観察眼と表現の抑制が効いている。他にも、

 

 

竿(さお)持(も)ちて野路(のぢ)かへりゆく釣人(つりびと)の肩(かた)に流(なが)るる夕暮(ゆふぐれ)の色(いろ)
我(わ)が命(いのち)刻(きざ)むが如(ごと)くすすみ行(ゆ)く時計(とけい)の針(はり)を淋(さび)しく見(み)つむ
汗流す苦しみを得て今日も又林流れし風にひたるも
雷起りシベリヤの野は忽ちに物皆等しく打ちぬらしたり

 

 

などの歌が見られ、どれも基本的に端正な歌である。同時に、短歌の基本的な描写の技法を押さえたオーソドックスなスタイルだ。1首目は岡山高等女学校2年生在学時の、2首目は3年生のときの歌。人見は女学校在学中に新草会という月例の短歌会に参加しており、「他の者が一首作る所を人見は五首つくるスピードであった」(「競技者人見絹枝の短歌歴について」)という。

 

3首目の歌は二階堂体操塾時代の1924(大正13)年の歌で、2句までのアスリートとしての実感と下句の実景の季節感を、3句の「今日も又」が効果的に繋ぐ。ただ、アスリートの実感を詠んだ歌は実はそれほど多くない。4首目は1930(昭和5)年の歌で、プラハでの第3回国際女子競技大会に参加した際の歌である。プラハに向かう途中、シベリア鉄道の車内から見た原野の景色を詠っている。この年が人見にとってアスリート最後の年となった。ちなみに人見がアムステルダムオリンピックで銀メダルを獲得したのは1928(昭和3)年だが、1927(昭和2)年から1929(昭和4)年にかけての作品は発見されていない。

 

あえて繰り返すが、人見の文体は端正でオーソドックスである。的確に対象を切り取り、過不足なく描く能力は疑いない。今読むと物足りないと思う向きもいるかもしれないが、90年以上前の歌である。過去の作品を今現在の読者がその時点の物差しで価値判断すること自体は決しておかしなことではない一方、当時の物差しによる評価も踏まえる必要がある。今回はそこまで調べが及ばなかったので、性急な判断は控えたい。

 

なお今回引用した歌は初出に応じて、総ルビの歌とまったく歌にルビが付されていない歌の両方があるが、三澤の論文の記載に従った。サイトの表記の関係上、ルビは鉤括弧で括らざるを得ないため、読みづらいかもしれないことをお断りするとともにお詫び申し上げておく。