生沼 義朗


石井伊三郎/何のはづみかモールス符号思ひ出し万葉の歌幾首かを打つ

石井伊三郎『送り火』(角川書店・2013年)


 

今日8月15日は74回目の終戦記念日(敗戦記念日と呼ぶべきと個人的には思っているが)である。

 

作者の石井伊三郎(いしい・いさぶろう)は1922(大正11)年生まれで、100歳近い今も健在である。1955(昭和30)年に「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事。1984(昭和59)年から2006(平成18)年まで「歩道」の編集委員を務めた。歌集は現在までに6冊出しており、『送り火』は第5歌集である。集題は歌集後半の

 

 

海見ゆる丘に送り火焚きつぎてわれら声なく戦友偲ぶ

 

 

から取られている。2008(平成20)年から2012(平成24)年までの5年間、年齢でいうと86歳から90歳までの作品約400首が収められている。

 

石井は1943(昭和18)年から3年間、無線通信士兼暗号手として中国大陸、フィリピン、パラオ諸島を転戦した。標題歌となった歌の前の歌は

 

 

ペリリューの島より友の還り来よ海見ゆる丘に迎へ火を焚く

 

 

という歌で、「ペリリューの島」はパラオ諸島の主要な島のひとつで、日米両軍間の激戦地のひとつでもある。その戦闘は激しく、ペリリュー島だけで約1万1千人、周辺の島での戦死者や餓死や戦病死を含めると2万人以上の命が失われた。しかもほとんどの遺骨が未だに日本に帰還できていない。

 

石井はその中で文字通り九死に一生を得て1946(昭和21)年に復員したが、あとがきに「今でも当時の悲惨な有様は鮮烈に蘇り、亡き戦友の面影が浮かんで来る。戦争の悲惨さ、命の尊さが六十余年経た今日でも私の脳裏から未だに消えない。この思いを真の抒情詩として如何に表現するか。半世紀以上を経た今日、どのように表すか」とある通り、今でも折に触れてペリリュー島や戦時の体験を詠む。戦後70年以上を経た今、こうした歌を詠める人ももう少ない。

 

掲出歌は当時の記憶を単に回想して詠んでいる歌ではなく、当時の記憶を思い出したあくまで現在の手触りで描く。「何のはづみか」とあえてきっかけははっきりとは描かれないが、作者もそこは判然としないのだろう。とにかく従軍中に使っていたモールス符号を思い出した。そしてそのモールス符号で万葉集の歌のうち何首かを打ってみた。打つといっても機械に向かってではなく、机か何かを指でモールス符号のリズムで弾いてみたということだろう。どの歌を打ったかは読者の想像に委ねられる。戦後60年以上を経てモールス符号がそらで出てきたことに驚くが、作者もそれは同じだったろう。

 

事実を淡々と描くが、壮絶な体験と60年という時間の厚みがなければ作れない歌で、こうした戦争体験の歌に光を当ててゆくにはどうするべきなのか。総合誌でもしばしば戦争や戦時下の歌の特集が組まれるが、それだけでよいのか。今をあらたな戦前にしないためにもおのおのが考える必要があるのではないか。