生沼 義朗


野村まさこ/最後まで話さなくていいカーテンに染みこませておく君の悩みは

野村まさこ『夜のおはよう』(六花書林・2019年)


 

9月に入って学校教師の歌を集中して取り上げている。今回の掲出歌の作者の野村まさこは愛知県内の公立高校の養護教諭である。養護教諭は、学校の保健室などに常駐して在学生の怪我や疾病の応急処置を行ったり心身の健康を管理するなどの養護をつかさどる教員で、いわゆる「保健室の先生」だ。意外に知られていないが養護教諭は正規の教員で、養護教諭の教員免許を取得する必要がある。野村は現在は定時制高校に勤務しており、第1歌集『夜のおはよう』はその始業の挨拶から採ったという。『夜のおはよう』には、2009(平成21)年に「コスモス」に入会し、現在は結社内同人誌「COCOON」にも所属している野村の約10年間の作品が収められている。

 

養護教諭は、学級担任や保健体育の教諭と相談協力の上で健康教育や性教育の指導や教育を行うこともあるが、通常はあまり授業を担当しない点で他の教諭と異なる。だが在校生と接しないわけではなく、最近は保健室登校の生徒児童への対応が大きな職務のひとつとなっている。保健室登校とは、在校生が学校には登校するものの教室ではなく保健室で過ごすことを指す。1日ずっと保健室にいるのはもちろん、一部の授業に出ることができても基本的には保健室で過ごしている状態も保健室登校と呼ぶ。ちなみに保健室登校には大きな2つのパターンがあり、普通に登校していた生徒が何らかのトラブルで保健室登校しているケースと、不登校の生徒が学校復帰の過程で一種のリハビリとして保健室で過ごすところからはじめるケースがある。保健室登校が教室復帰に効果的というデータもあり、小中学校では9割以上の学校で保健室登校の在校生がいると言われる。

 

掲出歌は、前後の歌を読んでも保健室登校という言葉は見当たらないが、そうした背景を感じさせる。「最後まで話さなくていい」にベテランの経験に裏打ちされた自信が見え、「カーテンに染みこませておく君の悩みは」に作者のやさしさとそれを受け止める具体的な手触りがある。平易かつかろやかに描きながら、状況を端的に提示する奥に作者のしなやかさが読者に手渡されている。

 

新年の仕事始めの保健室「来室者なし」を良しとするなり
流行に乗り遅れたような気になりてインフルエンザに罹りたき女子

 

 

養護教諭は在校生の健康を守ることが職務なので、来室者がないことは喜ぶべきことだ。一方で新年の仕事始めの初日の「来室者なし」に一種の呆気なさと手持ち無沙汰を感じ、同時に平穏な一年の吉兆なのか嵐の前の静けさなのかの判断をつきかねている様子も察せられる。しかし、今日一日は少なくとも来室者がなかったことを「良しとする」のだ。日々の業務に追われる養護教諭の微細な心の動きが滲み出ている。

 

2首目も高校生の行動原理と心の機微が絶妙に描かれていて、思わず微苦笑を誘う。たしかに仮にクラスの多くがインフルエンザに罹るような状態では、罹っていない方が妙に肩身の狭い思いをすることもあったりする。第三者から見れば莫迦莫迦しいかもしれないが、本人たちからしてみればちっとも莫迦莫迦しくなんかない。それが学校という場であり、学生生活なのだ。もちろん先生たる作者には充分わかっていて、だからこそ情景を端的に描きながらどの歌にも即かず離れずの間合いがある。その間合いを別の言い方をすれば、やさしさとも情愛とも言う。

 

野村はあとがきで「この本は歌集という形での「保険だより」」と述べる。『夜のおはよう』は、描かれる出来事のトピック的面白さもあるが、それは歌集の良さのほんの一端に過ぎない。重要なのは、どの歌にも今を生きる生徒のリアルな様子が刻みこまれていることである。そして受け止める教師の側である野村にもまぎれもないリアルがある。このリアルの共鳴こそがこの歌集の魅力に他ならない。