長塚節/馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想(おも)ひ見るべし

長塚節/明治四十年・1907年秋作


それにしても、前回紹介した佐太郎の歌、

 

薄明のわが意識にてきこえくる青杉(あをすぎ)を焚(た)く音とおもひき

 

は清新でありつつ、一方でずいぶん老成しているなあと思うのである。明け方の意識のなかで「青杉を焚く音」と思ったことだけを詠う。そのような限定の在り方には既にして何かを感得してしまった気配があるし、何よりも悦びの発見が地味である。

この歌は、佐太郎が26歳のときの歌なのである。

 

馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし 

 

さて、それで今日の一首だが、これは長塚節、28歳のときの歌。
長塚節と言えば、素材や歌柄の古風な地味さが印象的でもあるけれど、いっぽうでその心にはそよ風のように清新な若さが息づいているのが感じられる。

 

秋の訪れについては、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行『古今集』)に代表されるように、昔から多くの歌に詠まれてきた。節の歌では、その秋の訪れが、「馬追虫の髭」という微細なところに発見される。馬追は、唱歌「虫のこえ」で「あとから馬追い 追いついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん」と詠われているあれである。2~3センチくらいの緑色で、背中に褐色の線がある。長く細い触覚をしている。私自身は馬追を見たことはたぶんない。一度、節の生家を訪ねたことがあるけれど、茨城の昔ながらの農村風景が残っていて、ふだん聞くことのできないたくさんの種類の虫の声が鳴いていてその中に確かに「すいーちょん」と鳴いているものもあったのだった。

 

それはさておき、意訳すると「馬追虫が鬚をそよりとさせながらやって来る秋は、眼をじっと閉じて想い見る(感じ取る)のがいいんだよなあ」という感じだろうか。馬追虫の鬚に秋の訪れを見出しているところがなんだかとてもかわいらしいし、虫の鬚という微小なものの揺れは秋の気配の繊細さそのもののようにも感じられてくる。「まなこを閉ぢて想ひ見るべし」と節はつくづくとその空間にひたるようだ。逃さぬようにひっそりと感じ入る歓びが、「べし」には表れている。

 

この「べし」は、あるいは「鶏頭の十四五本もありぬべし」といったような、竹の里人こと正岡子規由来のものでもあるだろう。子規のこの句では、「十四五本」と雑駁に捉えてみせる。「ありぬべし」にはそのような雑駁さをよしとする子規の明快な態度表明があるのであり、積極的に他者に受け渡す指針ともなっている。写生というのは何も生真面目に、14本だか15本だか数えて正確に詠うことではない。「十四五本」という雑駁さにこそ、生きた把握があるのだ。という一つの発見があり獲得がある。「ありぬべし」にはだから子規のご満悦な表情さえ見て取ることができる。

こうした「べし」の精神はたとえば、

 

柿の實のあまきもありぬ柿の實のしふきもありぬしふきそうまき

正岡子規

 

というような歌にも見られるのであり、これも敢えて「しふきそうまき」と子規は言ってみせているのである。子規は常に趣を発見し、あるいはそれを自ら発明して人に教える。甘柿がおいしいのは当たり前であり、けれども「しふきそうまき」と敢えていうとき、そこに趣が発明されているのだ。そしてそのことを発明した自らに悦び、他者に伝える。子規の歌は基本的にこの発信の精神によって成り立っているのだと私は思っていて、それは後の、アララギの歌風とは根本的に違うものなのである。

 

馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし

 

長塚節の歌では、子規の発信の精神のほうではなくて、「趣」に対する感性がより繊細に受け継がれているといえる。ここには内省的な恍惚感があるのであり、外に向かって発信するというよりも自身で味わい尽くそうとするような悦びがある。

 

暑き日は氷を口にふくみつつ桔梗は活けてみるべかるらし

 

この歌は、節の病が相当に悪化していたころのもので、一連のはじめに、「二十三日、久保博士の令妹より一茎の桔梗をおくらる、枕のほとり俄に蘇生せるがごとし」とあるように、この桔梗は女性からお見舞いでもらったものだ。「みるべかるらし」は「見る―べく―ある―らし」ということで、見るべきだろうなあ、と、ちょっと、はずした言い方をして楽しむような風情がある。「みるべかるらし」のら音の響きが口の中を滑る氷の感触さえ感じさせ、氷を含む口中の清清しさと桔梗の色とが響き合う。病床にあって、そういう繊細な悦びを味わい尽くす節の姿があるのである。

 

まなこを閉ぢて思ひみるべし」と「青杉を焚く音とおもひき」は、その感性において通じるものが多くあるように思うのだが、節の歌では純朴といってもいいような心弾みがあるのに対し、佐太郎の歌ではどこかで醒めた意識が働いていて、それが歌の印象を老成させているように思うのである。

 

正岡子規は1867年の生まれ、長塚節は1879年生まれ、さらに佐藤佐太郎は1909年生まれで、節から30歳も年が離れている。それぞれの作者の個性や性格が彼らの歌の特長を分けているのはもちろんのことなのだが、世代の差や背景の時代から自己の相対化の変遷をたどってみることもできるように思う。