大島史洋/この海のむこうにアメリカ くりかえす吾子とすこし恥ずかしきわれと

大島史洋第三歌集『炎樹』(1981年・蒼土舎)

 

最近は短歌でもイクメン的な歌が増えていて、父の歌もバラエティーに富んできているけれど、ある時期(近代はそうでもなかった)の父歌は型にはまったものが大半だったようにも思う。そんななかでこの大島史洋の歌は不思議にそうした型からはずれている。

 

太平洋に来て、「この海のむこうにアメリカ」と叫ぶ子供たち。こういう典型的なセリフを子供は悪びれなく叫ぶものであるし、横にいる大人の居住まいの悪さはとてもよくわかる。それが、「くりかえす吾子と/すこし恥ずかしきわれと」と並列して置かれている。この歌にあるのはだから、子供に対する父親という立場上の自意識ではなくて、子供の存在に照らし出される大人のはかなさであるのだ。このような並列的な関係が風を通していて、目の前に広がる海の広ささえ感じさせる。つまり、ここに並列されているのは、「この海のむこうにアメリカ」とくりかえす吾子と、すこし恥ずかしきわれと、そして海なのであり、それらがここにあることのただただまぶしい時間が思われるのである。

 

ちなみにこの歌は昭和52~55年(1977~1980年)頃のもので「この海のむこうにアメリカ」には当時の時代的な気分が子供によって無邪気に反映されてもいるだろう。大島自身は昭和19年(1944年)の生まれであり、安保闘争や学生紛争を思春期から青年期にかけて通過した世代でもある。第一歌集『藍を走るべし』(S45/1970年)は当時の歌集には珍しいくらいにそうした時代的な内容を含まないものであるけれど、〈一億のドラムのビート前傾のわが影をして人生へ〉というような歌には、アメリカナイズされた時代の熱気に対する自らの生の翳りが見つめられている。そんなことを思うとき、アメリカというものに対する子供と大人の世代的な感覚の違いというようなものもまた、この歌では他愛ない風景の中で並列に置かれてもいて、それは、いつの時代にも普遍的な子供と大人というものの忘れがたい風景でもあるのだと思う。