花山 周子


森尻理恵/一応はわれは大人で頭下げ頭上げしときその老いを見つ

森尻理恵第三歌集『虹の表紙』(2019年・青磁社)


森尻理恵の歌集は読まされる。それは、前々回に紹介したような研究者として、女性としての〈女だから駄目だと言われてくれるなと土砂降り雨のように言われる〉〈目立つことが大事と言いたる上司より袂を分かちて八年が過ぐ〉〈人並みの努力だけでは超えられず研究者の壁にわれもここまで〉というような現場の苦悩、現代的課題が率直に語られてゆくためでもあるし、そうしたことを告発するだけではなくて、そこに居ること、生きることの意地が社会における加害者被害者の枠を超えた主体性、森尻理恵という人物を立たせているからだ。

 

一応はわれは大人で頭下げ頭上げしときその老いを見つ 

 

たとえば、この歌は〈研究者になれぬとわれに言い切りし教授が学会発表を聴きいる〉という歌の次に置かれている。研究者になれないと自分を断じた人が、自分の学会発表を聴いている。けれども、森尻さんの意地はそこでおさまるものではない。「一応はわれは大人で」と、既に戦闘態勢に入っている。「大人で頭下げ」と言いながら、「頭上げしときその老いを見つ」という。なかなかこうは詠いこなせるものではなく、ここには森尻理恵という人物の機微が歌によって端的に取り出され、躍如としたものがある。そして、その端的な文体がとらえているものは、ある長い歳月を背後に置いた瞬間でもあるのだ。ここにある意地にこそ、ここで生きてきた彼女の強さがあるのであり、それが読者にも真っすぐに受け渡される。何よりも、「研究者にはなれぬ」と言い渡されてから今日に至るまでの自らを支えてきたのはこの意地であったはずなのである。

 

それは並大抵のものではないのだ。『虹の表紙』には、ご自身の病気や息子さんの進路のことなど、逆境に次ぐ逆境に次ぐ逆境というくらいしんどい現実が次々に作者に襲いかかるけれど、一貫してその芯に据えられているこの意地が、それら逆境と同じだけの力を持って対峙しているために、精神がぐちゃぐちゃになってもおかしくないような場面でも、まっすぐに読者への道路が開かれている。

 

この歌集には「養育費」という一連がある。森尻さんは息子さんがまだ小さいときに離婚されているのだが、〈離婚して初めて手紙をよこしたり養育費のこと問い合わせ来ぬ〉〈養育費を払い続ける義務あるか大学生とう証拠を送れと〉〈離婚後すぐに再婚したゆえ十年間子に会いたしと一度も言わず〉という怒りを据えた淡々とした歌が並ぶ。

 

離婚後も家計簿をきちんとつけよとう助言の有りきずっと守りぬ

息子から学生証借りコピーせり虚しさがふいに背中を貫く

約束は守らせるのがせめてもの意地と思いぬコピーを送る

 

そしてこうした歌を見るとき、やはり歳月のなかで維持し続けてきた意地が見えてくるのだ。調停委員からの、「家計簿をきちんとつけよ」という助言をずっと守ってきた歳月。「約束を守らせて」きた歳月。だからこそ、「虚しさがふいに背中を貫く」ような瞬間が訪れることの容赦なさには胸が詰まる。コピー機という鋭い光の流れを前にして心の疲れが無防備にしていた背中は不意打ちのように貫かれるのだ。だからこそ無防備になってはいけないという信念にも近い確信が彼女の率直で端的な文体をかたち作ってもいるのだと思うし、忘れないことの意地こそが今の大切な暮しを築いているのではないか。

 

大人だから自分の好きにして良いと息子に言いたり怒りを隠して

手紙読み息子は静かにこの人と会う必要はないと言いたる

養育費は下宿代の一部にあてており遠慮はせずに大学楽しめ

 

こうした歌が「虚しさ」を凌駕しているのだ。「遠慮はせずに大学楽しめ」は最高だと思う。だけど、下宿代の一部って大した額じゃないことも知れるのだ。

 

人の真価は逆境で出ると言われしを満開の辛夷に思い起こしぬ

 

こんな歌があって、逆境なんて誰だって避けて通れるものなら避けて通りたいものだけれど、それに直面してしまったとき、そこにあるはずの「真価」という価値をまっすぐに信仰すること。彼女の率直で端的な文体にはそのようなひたむきさがあるのだと思う。あと一回たぶん書きます。