福島泰樹/前衛は精神なればあえかなる歌の翼を濡らすともよし

福島泰樹『亡友』(角川書店・2019年)


 

福島泰樹の最新歌集『亡友』を読んだ。実に第32歌集である。『亡友』の題名通り、亡き知己に呼びかける歌で一冊が構成されている。掲出歌は第2章にあたる「亡友 弐」に収められている歌で、前回取り上げた村上一郎を偲んだもの。この歌の前に「村上さんと会ったのは目黒、喜多能楽堂」の詞書が付された、

 

 

名を問わば村上一郎、罵詈山房海軍主計大尉某(それがし)

 

 

の歌があり、さらに掲出歌の次には

 

 

あえかなる歌の翼を濡らさんと娟々(えんえん)として馬場あき子舞う

 

 

という歌がある。掲出歌を読むには前後の2首も同時に読む必要がある。背景は、目黒の喜多能楽堂で馬場あき子の能の公演を見たときに村上一郎に会ったことを思い出している。初句二句の「前衛は精神なれば」は前衛短歌ということではなく、村上の精神の位相そのものを示している。「あえかなる」はか弱く頼りない様や華奢で弱々しい様を意味する言葉だが、そうした弱々しい「歌の翼」を濡らすのもよいとする歌意となる。そして三句以下の「あえかなる歌の翼を濡らすともよし」は、次の歌を読むときに「娟々として」舞う馬場あき子とも共鳴していることがわかり、さらなる歌の含意と懐の深さを目の当たりにすることになる。

 

基本的に福島の今歌集の歌は亡き友に呼びかける性格上どうしても回想の色彩が濃くなりがちだが、掲出歌は回想でありつつ現在の認識に引き戻す効果があり、一連の流れに緩急をつけている。多くの読者が掲出歌から一読して格好良さを感じるだろう。その格好良さはひとえに福島の矜恃と結びついているが、村上の矜恃とももちろん結びつく。さらには次の歌の馬場あき子の矜恃だけでなく、短歌や歌人全体の矜恃とも通底してゆく。掲出歌にはそれだけの力と意味合いと祈りが含まれている。

 

 

雨の朝青梅に死せり 身の衷(うち)を雷鼓のごとく轟きやまず

 

 

『亡友』では第1章にあたる「亡友 壱」において松平修文を偲んでいる。掲出歌はその最終首。初句二句はもちろん松平のことを指す。F・フィッツジェラルドの『雨の朝巴里に死す』を踏まえており、福島の歌で繰り返し使われるモチーフである。三句以下は福島自身の感慨を述べており、「雷鼓のごとく轟きやまず」は精神的な衝撃を表現するものであることは疑いないが、青梅市の病院に入院した松平を幾度となく見舞っている福島は、当然松平の病状や死の転帰へ至る経緯を知っているから、「青天の霹靂」といったニュアンスとは異なる。覚悟してはいたがそれにしても、という噛みしめるような思いが伝わってくる。

 

さてここから少々話は逸れるが、当たり前だが人間はそれぞれ違う声を持っている。短歌に限らず、自分の文体を構築することはそう簡単なことではないが、第三者の内部でその文体をその作者の声で再生させることはさらに至難の業である。その際、読者がその作者の肉声を実際に知っているかは関係ない。もちろん肉声を知っていればその声で再生されるが、知らなかったとしても読者の中で想像された声で再生されるからだ。今の歌人でそれを為し得ているのは、岡井隆、奥村晃作、そして福島泰樹など数えるほどしかいない。

 

5月18日に槇弥生子の歌を取り上げたときに、2016年3月6日に中野サンプラザで開催された「槇弥生子さんを偲ぶ会」にも触れた。その際に福島泰樹がスピーチに立ち、槇の作品を何首か読み上げた。福島がライフワークとして行っている絶叫コンサートとはもちろん異なるものであったが、そのとき槇弥生子の歌でありながらまるで福島泰樹の歌であるかのような不思議な感覚を味わった。これはやはり福島の声の力であることは間違いない。

 

先に触れたことと重複するが、歌のたたずまいの格好良さも福島の歌の特徴である。短歌において格好良さは間違いなく武器だ。格好良さを感じさせることがなぜ作品の評価につながるかは、短歌の定型のフォルムと五七調の韻律があたえる一首の陶酔作用と無縁ではない。一方で頼りすぎることは思考停止や文学的腐敗をを招きかねないから注意が必要だ。塚本邦雄が前衛短歌運動の際に独特の句跨がりを駆使して独自の文体と韻律を編み出したのは、和歌由来の陶酔作用を否定したかったからだ。もちろん塚本の産みだした韻律はまた別の陶酔作用をもたらした。それを否定する気はない。陶酔作用があったからこそ、現代短歌に大きな影響をおよぼしたこともまた一面の真理であるから。

 

1月29日の斉藤斎藤の歌のときにも述べたが、挽歌は短歌の持つ韻律と相俟って、意識無意識や好む好まざるに関わらず作中主体の声を高らかにドラマチックに歌い上げてしまう。その性質をもっとも正攻法で活かそうとしているのが福島泰樹に他ならない。福島の声と亡き人を弔う姿勢は欠かせない要素であり、一体のものなのである。