吉田 隼人


氷片にふるるがごとくめざめたり患(や)むこと神にえらばれたるや

小中英之『わがからんどりえ』(角川書店:1979年)

 なまけるにも体力が要る、とユーモアめかして真理を衝いたのは百鬼園先生こと内田百閒であったが、病気をすると本当にただじっとしているだけでも苦しい。存在していることの苦しみとでも言おうか。インフルエンザか何かにかかった子供が「いるのがつらい」と泣いたとどこかで聞いたけれども、このあいだ自分も久しぶりにインフルエンザをやってしまい、近所の病院が開くまで夜通し「何でこんな目に」「助けてくれ」「もう生きていたくない」「なんで僕ばっかり」と泣きわめいた。もう30歳だというのに。

病気をかかえて目覚めるときは、なにか不吉な、ひやっとした感じがある。病気や怪我でひたすら横たわることを強いられて、けれども眠れない苦しみは、古井由吉があちこちで書いているように、たぶん散文向きの表現なのだろう。字面は綺麗でも、氷片にふれて目覚めるのは寝耳に水どころではなく、できれば御免被りたい。不吉な予感とともに、さして嬉しくもない夢から覚めて、しかし覚めてしまえば夢よりもやっかいな病の現実である。わたし一人に病を強いて、今朝もまた向き合うことになったこの残酷な、キルケゴールふうの神はいったい何者だったのだろうか?