早野臺氣『海への会話』(谷口采鴻:1977年)
KIRA KIRAと硝子かついで泳ぐなるせなかのうみは午后なり波あり 同上
ピストルなど持っているからいけないのである。しかも薔薇垣のそばで。拾い出そうにもどこにあるかわからないし、だいいち手が傷だらけになってしまうだろう。けれどもそんな大失敗まで含めて、やたらに素敵である。テンションが高い。熱に浮かされたような、きわめて理想的なかたちで夢を見ているような。
このテンションの高さに二十歳前後のころ、なぜかひどく惹かれていた。いわゆるモダニズムのなかでも、ダダやシュルレアリスム、その他の前衛表現が未消化のまま性急にかたちをとろうとしたような、荒削りなところも含めて、その年頃の自分にはなにか多幸感のようなものをもって受け止められた。四半世紀おくれのニューアカ少年として、『構造と力』などいつも持ち歩いて手垢にまみれさせていた頃である。遅い初恋のように嬉しくてたまらず、まさに手のやり場もなかった。
背泳ぎでもしない限り、泳いでいて背中に海が来ることはないはずなのだが。あるいは普通に泳いでいて、その背中が少し沈んでいる。その空間を埋めているガラスのように薄い海水こそが「せなかのうみ」なのか。安易なローマ字表記が、その安易さのゆえにむやみと輝いて見える。こんな幸福な水泳を、まだ経験しないまま今に至っている。