菓子ぱんのふうわりあるのが砂濱の夜に弾力となり椅子たのしくす

早野臺氣 「夏の夜の海邊」 『新日光』第十集 1950年8月発行

 ここで早野臺氣について紹介しようと準備していたところ、昨日、吉田さんが早野の歌を挙げられていたので驚いた。この歌人は短歌史からほとんど顧みられていない。『海への會話』は早野が亡くなってから、作者のノートに基づいて昭和52年に出版された。戦前の作品と戦後の作品を合わせた唯一の歌集である。西宮在住の藤本朋世さんの尽力による。

 早野臺氣の本名は早野二郎。明治31年生、昭和49年没。大阪の船場の舶来品の豪商早野家の次男として生まれ、大正5年には芦屋に転居し、その後は芦屋で暮らしている。戦前は、『日本歌人』を中心とした前川佐美雄・石川信夫・斎藤史・筏井嘉一・加藤克己などの新風・ポエジー運動を展開していた。二郎はなかでも昭和5年に「自然発生的な短歌を克服した純粋短歌」を宣言し、戦後はどの結社にも所属せずに亡くなるまで一貫してその歌風を変えなかった。戦前の阪神間に特有のモダニズム感覚や抽象化への志向が強いように思う。

ここに提示されているのはふんわりした菓子ぱんと椅子。背景には砂濱がありそして夜の海のやわらかな空間が広がっている。菓子ぱんと椅子を関係づけている主体はどこにもいない。というより菓子ぱんそのものが主体であり、そのふわんわりした弾力が椅子とひびきあってある種の幸福感が醸し出されている。そうすると、この歌の主体は菓子パンの弾力そのものであろうか。こうしたやみくもな多幸感を短歌のかたちにすることは案外むずかしいし、歌そのものがとてもレアな気がする。

この歌の世界は短歌的な詠み方から隔絶したところにある。空間も秩序も変形して逸脱しているような異様な歪みを感じるが、そこは暗くはない。独特の生命感の溢れる夜の海辺のエネルギーを感じ取れる。モダニズムの系譜につながることは確かだが、それだけではない本質をつかみ取る造型性がきわだっている。『新日光』は昭和23年から昭和33年まで、尾崎孝子によって発行されている。石川信夫の紹介によって、早野はここに7回発表している。同じ『新日光』10集に発表された作品を見てみよう。

賣店(ばいてん)はでんきの珠おほみくらき夜をアルミニウムのいろになみ寄す
浪しづみくらきも海には晝(ひる)のありポんというふラムネの玉なしあをむ
窓硝子つねにまふへに落ちくるか舗道にこころ破片ともなふ

戦前の明るく乾いた作品とはちがって、うすい憂愁がただよい、不思議な韻律に不穏さもある。しかし何かを告発したり主張したりする表現ではない。どこでもない空間で自由にモノと戯れている。この異彩を放った作者の戦後の歌を続けて読んでみたい。

〇参考文献

『早野臺氣資料集成Ⅰ』(1991年)編纂者 藤本朋世
『早野臺氣資料集成Ⅱ』(2006年)同上