滝川や浪もくだけて石の火の出でけるものとちる螢かな

正徹『草根集』

 些末と言えばあまりに些末、作り物めいていると言えば反論の余地はない。しかし流水の運動から破砕の運動へ、そして破砕のイメージから石と石がぶつかって火を散らせるイメージを経て、あちらこちら飛び交う蛍まで、一首がそこに内在する論理(のみ)によって自律している。写実ではもちろんなく、絵のようでもあるが、絵にはない連想と運動とがここにはある。読んでいて快楽を禁じ得ない。
 定家をほとんど信仰めいて、というか自身信仰告白として言い表すしかなかったほど愛した正徹だけれど、こんな歌は定家にもなかったと思う。定家の延長線上にある、言葉が言葉だけで自律して生成されるフィクションの世界には違いない。けれどもしかし、このどこかアニメちっくですらある独特の論理はどこから生じ来たったのか。惜しむべきは自分のような素人が手に取れるような研究書、入門書のたぐいは見当たらないこと。大枚をはたいて買い込んだ翻刻本を、徒手空拳で読み進めるしかないのだろうか。