大丸のビルへ垂直にそらぞ垂るそらはざらざらの手触りであり

早野臺氣 「青毛糸―海邊都市神戸」
1954年10月『新日光』第十四集 所収

 

この大丸は、神戸元町に開業しており現存する百貨店。外国人居留地にあったことから当時からモダンな作りだった。そのビルの上に空が垂直に垂れさがっている。その空はざらざらの手触り。どことなく硬質な空間把握であり、そこには空襲で破壊された余韻の残る神戸の混沌とした雰囲気が浮かび上がる。

 

黄に撓むアドバルウンの球体そらにあり街はまんなかよりこころを昇す

 

昭和30年ころは都会の繁華街にはよくアドバルウンが上がっていたようだ。ここではアドバルウンの球体が街全体を地面から引き揚げているような感覚があり、また気分の高揚感もともなって、「こころを昇す」という不思議に舌足らずな表現になっている。都会の明るさを感覚的に捉えた歌だ。

 

原子ぐものしたとなり終るウインドのちぢかむひかりも骨のいろなる
夕刊の裂けたる紙のあひだから収縮するまちくたくたとする

 

同じ連作の掉尾から二首目をひいた。ここには明らかに戦争が影を落としている。明るい神戸の街の向こうに、原子爆弾をおとされて焼け野原になった広島の街をかさねて幻視している。「ウインドのひかりも骨のいろなる」としたところ、焼死した犠牲者への想像力によって呼び出されたイメージが鮮烈な印象がある。2首目の歌にも戦争の傷はあきらかにある。早川は、時代錯誤のモダニズムの歌ばかり作っていたように批判されるが、そうだろうか。確かに前川佐美雄が『植物祭』で見せた社会への呪詛のような激しさはないし、塚本の押し出す憎悪もない。しかし、柔らかな感覚で時代の雰囲気はよく捉えられている。早野は「オブジェとしての短歌」を主張し抽象へと進む。しかしそれは破壊的な方法ではない。反逆へもゆかない。そこには楽しい遊び心がある。この作者には変わることのない言葉や人間への無垢な信頼があったのではないか。

同時代に活躍した大阪の歌人、安田青風が「新日光」第十一集(1951年7月)に寄せた文章がある。3首引いた後に、簡潔に批評している箇所の一部を引く。

 

仔犬より鎖り逆(さ)か傅(づた)ひうへみるに匂へる鋲(べう)あり顔のただよふ
かさなりて夜を走るうみの蛸ら沙魚(はぜ)ら喋(しやべ)るをきくに自轉車のがあり
御貴殿の片目のずれより溶けゆがみシルクハットはしみ出(づ)る毒なす

 

作者は決して魔術を弄して人をたぶらかすやうなインチキ者流ではない。又。これらの作品には不思議に戦後につきまとふ暗い蔭といふものがない。… 理性を攪乱され、…あらゆる悪徳を人間的といふ美名のもとに正常化しようとする悪辣な戦後派と比べるとなんといふ他愛のない構へであろう。明るい光線、鮮やかな色彩、わけの分からぬ饒舌の中になにかしら楽しい影を覗かせる。
『四つの型の新人 ―「新日光」第十集を読む―』

 

よき理解者の言葉だ。そして知性が香っている。こうして安田の文章を書き写しながら、戦後の混乱期にこのようなバランスのいい思想を保ち、知的に明るい世界をもとめて短歌を志す歌人たちが阪神間に存在していたことになんとなく喜びを感じてしまう。

〇参考文献
『早野臺氣資料集成Ⅰ』(1991年)編纂者 藤本朋世
『早野臺氣資料集成Ⅱ』(2006年)同上