岩尾 淳子


憧れのなくなりしことが微かなるあこがれとなり生かされてゐる

              安田靑風 『季節』 創元社 1955年

先日、安田靑風の文章を引いたのでついこの歌を思い出した。昨年の秋、元町商店街を歩きながら古書店にはいって小ぶりなこの歌集を見つけた。古いパラフィン紙に包まれた表紙をめくると、青風の直筆の歌が流れるような筆遣いで書かれている。そのまま秋の陽ざしのように澄んだ歌に吸い寄せられるようにページを繰っていた。

1首のなかに2度「憧れ」という語が使われるが初句では漢字であり、四句目では平仮名にひらかれている。「憧れ」と漢字で書いた時のニュアンスはおそらくは、青春期にいだく多様な可能性をひめた遙かなものへ希求であり、それは自己を越えたものへの浪漫性を指示しているだろう。それが歳月を経て失われてしまう。この世代にとっては、戦争という大きな苦難を体験することによって挫折や敗北感をともなってかがやかしい青春の憧れは喪失されていったことであろう。

この歌では、そういう青春期にだれもが抱くイデアに似た世界への憧れが失われたことが、さらに位相をかえて新たな憧れをもたらすと言っている。そこには諦念に近い心境もあろうが、それよりも失われてしまった今の状況をむしろ肯定的に受け止めようとする平らかで充足した心境が訪れているように思える。その気分が平仮名の「あこがれ」として表記されているのではないか。そして、憧れを失ったことがかえって希望のようになって自分を生かしているという。ここにたどり着くまでの長くて孤独な思考の時間があり、そして磨きこまれた認識がこの簡素な一行を与えている。

『季節』という歌集は、成熟して澄みとおった思想によって世界が構築され、現実が断片化されず、幻想にも寄らず、常に全体性のなかで現象がとらえかえされている。どのページを開いても表現は知的に整って抑制されており、平明な文体が世界をひらき、明るい光がさしこんでいる。昭和30年といえば、前衛短歌が一世を風靡した時代であるが、そういう時代の流れをよそに、ひとりで思惟を重ね、言葉を編んでいた歌人がいたことがまさに希望のようにも思える。心の深くまでとどく歌だ。