麵麭を買ひ「ma mère est morteママが死んだ」と言ふ我に野の風のごとうなづくダミアン

守中章子「Ange-Mensonge 天使―嘘」 角川書店 2019年

略歴によると作者は2015年秋より、1年半フランスに滞在し、カトリック系の大学に滞在している。その年の11月には、130人の犠牲者を出した、パリ同時多発テロ事件に遭遇することになる。その事件のあとのパリの苦悩を自身のなかの現実のジレンマとして向き合い、また、歌を詠むという行為そのものに苦しむことになる。自身はただの異邦人であるが、目の当たりにする虐殺や弾圧に心が動かないはずがない。そんな切り裂かれた精神にありながら、断絶した世界の境界、あるいは尖端にたつことで、作者は執拗に、世界をあるいは自身の存在を問い返す。

をはらむかひとをはらむかうたうたひうたをはらむかをはらむかうた

テロで亡くなった犠牲者のうしろには数えあげることもされない難民たちの死がある。おびただしい死に満ちた邪悪な世界のまえで表現はどう可能なのか、あるいは不可能なのかを自力で思考しつづけた傷跡がこの第二歌集かもしれない。歌を詠むことが痛みそのものであることに気づいたとき、ふいに絶望がやってくる。その絶対的な孤独のなかで混迷を深めつつモノローグ的に降ってくる歌。ここには韻律だけを残して素裸になった歌がひりひりと響いている。

巻頭に挙げた歌に戻ってみよう。「ma mère est morte」はカミュの小説「異邦人」の冒頭に出てくる有名なせりふだが、単なる引用ではなくて、作者はこのフランス滞在中に実母を失くしたらしい。この事実も衝撃的である。圧倒的に大きな世界の死と同時にもっとも身近な存在であるたったひとりの母の死に同時に直面する。そして、そんな母の死のそばにすらいることをしないで、いつもと同じように麵麭を買っている私。遠い異国にありながら「母が死んだ」とつぶやく私に風のように頷くのはダミアン。ダミアンはおそらく、「デーモン」(悪魔)の意味であろう。私自身のなかの聖なるものは喪失され、悪そのものとして野に立ちつくす私が私に問われているのだろうか。目のくらむような深みに、存在の、世界の両義性を揺れながら粘り強く思索したことばが静かに息づいている。