しろくま科プランクトンが溺れててシャンパンに浮く彼らの気泡

加藤亜梨沙『早稲田短歌』38号

 

加藤さんは早稲田短歌会の同期だった。同期だが、2年生で新歓にやってきたので1年上だった。「かくれんぼ同好会」と兼部していて、1年でそちらのほうに行ってしまった。だから短歌会の機関誌には1号しか載っていない。最後に見かけたのは1年生の終わりで、短歌会の部室でなにか「かくれんぼ同好会」に使う看板のたぐいを作っていた。機関誌に載らなかった作品も、新人賞応募のときに開かれた「連作合評会」で目にしていて、そこには楽しい歌がたくさんあったように記憶している。忍者がガードレールにあらわれたり、とにかく自由自在で、読んでいて楽しいし、作っている側も楽しんで作っているのだろうなとわかる作品だった。そのときのプリントももう処分してしまって手許には残っていない。

掲出歌はやや要素が多くとっちらかった印象だが、シロクマの白とシャンパンやその泡のイメージ、シャンパンの気泡と細かなプランクトンのイメージなどが重なり合いつつ、巨大なシロクマと微少なプランクトン、シロクマの確固たる存在感と気泡のはかなさ、といった相反するイメージとが互いに引っ張り合って、一首のなかに独特の力場を形成している。そういえばフランスの詩人マラルメがその詩集の巻頭に置いた「挨拶(Salut)」というソネットは、シャンパンの泡をこれから船出する海、人魚たちの歌う海になぞらえ、イメージを極限まで凝縮された言葉に切り詰めることで、乾杯の辞を一篇の詩に仕立て上げた高度な「挨拶」であった。この歌がそこまで到達しているというつもりはないけれど、同じく「挨拶」と呼ばれる短詩形の在り方にもやはり、マラルメのような極北があらわれうるのではないかと、ふと期待してしまった。