藻のなかに潜ひそむゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし 

斎藤茂吉『赤光』(東雲堂書店:1913年)

 イモリとヤモリの区別がついていない人は少なくない。指に吸盤がついていて壁や、夏場などは自販機なんかを這いまわって虫を食べるトカゲの仲間がヤモリである。家にいると害虫を食べてくれるので家守と書く。守宮という字を当てることもある。皮膚はザラッとしている。素手で無理に捕まえると皮がべろんと剥けてしまうこともあるので優しく扱おう。
それに対してイモリは井守と書くだけあって水のなかにいる。トカゲみたいな見てくれをしているが、カエルやサンショウウオなんかの仲間である。日本によくいるアカハライモリは紫がかった黒いからだのなかで腹部だけが鮮烈に赤くて、水藻の陰にひらりと身をひるがえしたりすると赤の残像がしばらく残るだろう。
塚本邦雄は『茂吉秀歌「赤光」百首』でこの歌に少しだけ触れていたが、イモリの色彩美に恍惚となる趣味は解さなかったらしい。ヤモリもイモリもサンショウウオもカエルもトカゲも好きな者としてはなんとなく不服である。茂吉は素直にイモリの腹の赤に打たれたのであろう。惚れ薬として知られるイモリの黒焼はイモリとヤモリが混同されて生まれた風習だそうだが、水中に棲まう、ぬめぬめした粘液につつまれたイモリは性的な魅力も発散していないことはない。交尾が激しい、という俗説もむべなるかなという色気がある。そしてこの赤はフグと同じテトロドトキシンという毒をもつイモリの警戒色でもある。凡百の相聞よりイモリの一首のほうが妖しい色香をはなち、エロティックに感じられることもあるのだと、ここは強く主張しておきたい。