冥くららかに思想の鞍部見さけつつけふをいのちと旅果ててゆけ 

村上一郎(関川夏央『現代短歌 そのこころみ』集英社文庫:2008年)

 なぜだか村上一郎が好きで、遺稿のひとつになった自伝『降りさけみれば』など何度となく読み返したりしている。右にも左にも振れるはげしさ、それと二重写しになったかなしさ、高く、それでいて泥臭く不器用な知性の在り方、などなどに、いわば魂が共振れを起こすような錯覚をおぼえてしまうのかも知れない。それはもちろん、文弱の徒にすらなりきれない自分のような者の、まさに錯覚にすぎないのだろうけれど。思想の鞍部、は、あるいは「権力のやわらかき部分」(岡井隆)とも響き合いつつ、文人でありながら武人の激しさを魂に刺青のように刻まれてしまった人ゆえの「鞍」であり馬上のイメージでもあるのか。

  つばさ蒼くひとり火を食ふ鳥ありてさくばくと世は荒れてゆかまし 同上

 そんな村上一郎でいちばん好きなのは、むしろ諦念に満ちた、武者ぶりを感じさせないながらに心のいらだちは苦しいほど、狂おしいほどに伝わってくるこちらの一首だった。実際にヒクイドリ、という鳥がいて、翼は蒼くないのだけれど、首から顔にかけてが鮮烈に青い。飛ぶことのない、孤独な、しかし蒼い顔をして真っ赤な口をあけ、なにものか激しい情念をついばむ鳥の姿を胸に宿しつつ、ただ世がきわめて散文的に荒れていくのを投げやりに見て過ごしてしまうのは、こちらもまた歌詠みのはしくれゆえか。