高架下の長めに生きる猫たちに睨まれつつもかずを数える

井村拓哉  『上終歌会』2号 2020年

上終歌会は京都造形芸術大学の学生を中心とした歌会。小ぶりな正方形の冊子は清楚で美しい。ページを繰ると新鮮な感覚がきらきら輝いている。

高架下に猫が何匹かたむろしているらしい。〈長めに生きる猫たち〉というアバウトな言い方がいかにも猫の描写として叶っていて楽しくなる。猫の寿命は長いもので20年を超えるらしいが、ここでは何年くらいのことを言っているのだろう。気まぐれで一方的な猫へのアプローチのしかたがあり、猫たちはそれを迷惑がっている様子。にもかかわらず作者の関心は猫たちにとどまり、果てはその数をかぞえる、というこだわりにまで帰着する。
高架下で気ままに生きている猫たちと、作者の浮遊する意識とが絡み合うことで生まれる関係がユーモラスだ。ナンセンスな感覚が冴えて、ひととき気持ちを遊ばせてくれる。

 

後藤英治
だしぬけに商店街を見に行った アレッ?と言葉をくちにした店

この歌も不思議。どうしてだしぬけに商店街を見に行ったのだろうか。何か買う必要があったのか、それとも商店街そのものを見たくなったのか、どちらにしても、唐突に作者の生活空間がむきだしになっているようで、叙述のなかの距離感のなさが面白い。さらに、展開して下句の作者のうごきも意味不明でありながら、店があり、何かはわからないけどモノがあり、そこに反応する作者の意識が生々しくある。ここには図らずも商店街という空間の存在のたしかさを新鮮な感覚で描写できているように思える。そして生動する主体の意識さえもたしかに見える。

 

ほかに立ち止まった歌を紹介しておく。

辻本智哉
コンタクトレンズ売場で一粒の武器にならないなみだを流す

坂根望都花
つややかな肌でいることの誓約、生きていくとは泥臭い春

中山史花
ターミナル 人混みにまぎれる日々のどこかであなたとまじわるかなあ

田村悠一郎
夏めいて別のところで会える人 歩けばすぐにずれる中心