岩尾 淳子


三宮、元町過ぎてさびしかりうすくけぶれる山側に出て

        とみいえひろこ 『半券』 創刊号  2019年

『半券』は去年の大阪文フリで手に入れた作品集。文フリでは店頭にはない作品集が、作者さんから直接買えるところが楽しい。つい話も弾んでしまう。貴重な流通の場であり交流の場所なのだけど、今年はどうなるのかな。秋までにはコロナウイルスが収束していればいいけど。

掲出した歌は、文フリで持ち帰ったいくつかの作品集に目を通していてふと立ち止まった。筆者の地元の名前が二つも登場していたせいもあるけど、いつも通っているのに、こうして歌に詠まれると、懐かしい気持ちが湧いてくる。人の名前もそうだけど、土地の名前を歌にいれることで目に見えない関係性がふわりと浮かび上がってくる。それは名前に与えられた運命のようなものでもあるかもしれない。

この歌では土地を詠むことの俗っぽさがない。それは三宮、元町という場所に作者が適度な距離感をもっているせいかもしれない。あるいは、作者自身が本来抱えている世界との距離感がそのまま口調に現れているのだろうか。あらかじめ世界からふっと乖離している感覚が見えてくる。その距離感が歌のなかに、あてどのない浮遊感をもたらしている。

JR線に乗っていると、三宮、元町を過ぎれば繁華街からは外れる。神戸という地方都市を電車で移動することが、どこか漂泊にも似ていて心情に映し出されている。駅名には人の営みが沁みついているせいか、読む者の感情の回路をひらいてくる。そこに「さみしかり」と主観をそっと差し込むことで都市空間のもつ陰影がほんのりと内面に入り込んでいる。

作者は降車してから、駅の山側に出たらしい。神戸は山が迫っているので、ふだん山を見慣れないものにとっては、近くに迫っている山影に少なからず異郷の感じを受けたにちがいない。大阪であれ神戸であれ、一見繁華に見える都市は一方では人を孤独にさせる空間でもある。ひとりの歩行者になることで、都市の、そしてその内部を彷徨しながら見慣れない自己と遭遇する。この歌には都市に生きるものの寂寥感がひんやりと結晶していて印象的だった。