わぎもこが捕へし蝶に留針とめばりをつと刺すを見て心をののく

森鴎外「潮の音」(引用は石川淳『森鴎外』岩波文庫、1978年による)

 マゾヒスティックな、刺青への願望を思わされるような一首である。

蝶に針を刺すのは標本にするにせよ、本格的な標本でなくとも一時的に飾っておくだけでも、そこまでおかしな光景ではないのかも知れないが、それを「わぎもこ」がおこなうのを見て「心をののく」というのは、自らを蝶に重ねた恐怖と入り交じって、わぎもこに針を刺される夢想を思わせはしないか。それは鴎外のあくまで厳格なイメージをずいぶん通り越して、谷崎潤一郎か(あの小説で刺青をされるのは女の側だったが)蝶のコレクターが人をも収集しだす猟奇小説の趣きすら出てくる。

蝶に針を刺すのはほんの慰みのために命を絶つ行為かも知れないが、もし蝶に刺青をほどこしたらどんなにか美しいことだろう。そしてもし「わぎもこ」がわたしの命を絶ち、わたしを美しいままに残してくれようとしたら、それはわたしにとって、ときに喜ばしいこと、なによりも願わしいことではあるまいか。そんな夢想をしながら、自分もまた「心をののく」のである。