岩尾淳子


しづかなる梨の畑を青あをと分けて流るる夏井の川は 

 

高木佳子 『玄牝』 砂子屋書房  2020年

 

夏井川は阿武隈高原を源流として、いわき市から太平洋にそそぐ川。川の名前がなんとも美しく響いて歌の中にも透きとおった涼風をふきこんでいる。川の流域には地理を利用した梨畑が広がっているのだろうか。瑞瑞しい大きな梨の実がしずかに熟れてゆく晩夏の青々とした果樹園。その土地をはぐくむように豊かに流れてゆく夏井川。見たこともない川だけど、この歌を読むだけで青空のひろさや清らかな水流がひびくように想像がひろがる。そして、なによりも川を、実りを、そして土地を手放しで讃えるおおらかな悦びに包み込まれるようだ。ここには万葉の時代にも似た風通しの良い確かな抒情がある気がする。

 

土を掻き土を悼みてひと日づつこの地を生きむとする人がゐる

 

ただ、夏井川が福島の川であることを思って読むと、にわかに複雑な感情が立ち上がってくるのは是非もない。汚染された土を掻きだしながら、傷ついた土地を悼み、悲しみ、その土地に生きようとする人たち。おそらくは作者自身も、心の土壌はここ福島にこそあると思い定めているであろう。というより、苦しみの中で何度も激しく問い返されてきた自らの根源性のありか、それが作者にとっての福島なのかもしれない。

 

怒りさへ強ひられてくる福島にありて強ひくる人を覚えつ

 

衝撃的な歌だ。福島の人たちを何重にも引き裂いている苛酷な状況が背景にあることが伝わってくる。土地を奪われ、コミュニティーさえ失ってゆく福島の負わされたものをひとつずつ、丹念に懐疑し向き合ってゆくこと、その思索する言葉がひとつの歌として刻まれ、沈潜している。それは、生きることの回復への果てしない自分との対話のようにも思える。

 

福島に限らず、今の混迷したこの世界がどこへ辿りつくのかはわからない。だけど、こうした孤独な思索こそが希望につづくのかもしれない。原初にたちかえることで、なにがほんとうに大切なのかが見えてくると思いたい。

 

紙白く桃を包めばつつまれて桃はこの世にあらざるごとし