蛍火といふからには火 親指のふかづめを隠して受け取りつ

七戸雅人「あなたのからだを読者は見ることができない/わたしのからだなら見てもよい」

(引用は『本郷短歌』第五号:2016年による)

 火をくれませんか、とか、火を貸してください、という言葉は自分たちにとってはもう死語のようなもので、それはたばこを吸うひとがとても減ってしまったからなのだけれど、もしたばこを介さずにそのまま火を手渡すようなことがあれば、それはとても不思議な光景のはずで、たとえば捕まえた蛍を譲る光景がそれに当たるのかも知れない。

わたしは蛍を手渡され、その、まさに「蛍光」する虫を手の中に受け取る。親指が深爪でじんじんと痛んでいるのを隠しながら。深爪の親指にもぐっと力を込めて逃がさぬように、しかし潰してしまわぬように、わたしは「火」をあやうく受け取る。あるいは深爪の痛みは、チリチリと親指の先を焼く蛍火の熱なのかも知れない。

わたしは自己の肉体に対して敏感であるほかなく、だからこそ蛍の発光もまたひとつの熱を伴わない「火」だと気付くことができるのかも知れない。そうした敏感さは恐らくわたしに苦しみをもたらすものであろうが、その敏感さのなかで、ときに嘔吐のえづきに肉体を震わせながらも、生きていくしかないのだろう。

ゑづくとき躯は震ふほかなくて人はおのれを飲み干せぬ壜 同上