吉田 隼人


花が咲いたようだと花をあげるからと花咲かせよと微笑むばかり

山城周「あるいは象徴が」(『ねむらない樹』vol.2、書肆侃侃房:2019年)

 ヒトは、特に女性はなんと花にたとえられることが多いのだろう。美の暴力である。そこにいるだけで花が咲いたようだとか、もう一花咲かせようとか。そしてまた花は何の役にも立たない贈り物として「あげる」ことも少なくない。受け取ったとき、受け取って家に持ち帰ったあと、処置に困ることも少なくないだろう。花瓶に挿したからといって生活に彩りが増えるばかりで、生活に必要な何物かが付け加えられるわけではない。

女性を花にたとえるときも、やはり「役に立たない、お飾り」のような印象をもたせようとして言葉が使われることが多いような気がする。いやあ、君がいてくれると花が咲いたようだねえ、とか、がんばってもう一花咲かせよう、とか言われるとき、そこにはなんとはなしに役に立たない「花」が隠れているのではないか。